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前後とは

先日、ふとこんな疑問が浮かんできた。

前日は「今日の1つ前の日」を示すのに対し、後日が「その日以降」という曖昧な範囲を示すように意味が対象的になっていない。

対義語になるので、「前日」と「後日」も対義語、つまり対称的な意味になるべきだろうというのが私の主張だ。

今回はこの疑問に始まり、前後という概念をメタ的に捉えることで新しい視点を獲得するまでの話を書いていく。

後ろ(うしろ)だと収まりが悪いので、後(うしろ)と書くことがあるよ



01. 時間軸的に考える


まず、前後という関係を時間軸的に考えてみる。

言葉にすると面倒なので、関わる言葉を時間軸的な図にしてまとめた。

全てではないが、普段使う言葉を洗い出した

言葉を洗い出し図にまとめると、「前日」の対義語は「翌日」になり、「後日」の対義語は「先日」になることがわかるし、「前年」と「後年」も対照的な意味で使われていないことがわかる。

なぜ対義語になっている前後をそのまま対象的な意味で用いず、「先」や「翌」といった他の言葉を用いるのだろうか。

時間軸的に考えるだけでは浮かんできた疑問を解消するには程遠いことがわかったため、他の視点で前後という概念を見ていくことにした。


02. 空間的に考える


視点を変えて、空間的な視点で前後の概念を見てみる。

空間的な前後を図にするとこんな感じ。

教室や動物で考えると、我々は共通した空間的な前後の感覚を持っていることがわかる。

ここで気づくのは、時間軸的な前後と、空間的な前後に対して抱く方向的な認知は反対になっているということだ。

時間軸的な前は空間的な後で、時間軸的な後は空間的な前になる。

前後という概念を空間的に見ると、我々が普段どのように前後の概念を捉え、使っているのかわからなくなってくる。


03. 一人称的な視点で考える


空間的な視点には先ほどのように、空間を三人称的に捉えるものと別に、空間を一人称的に捉えるものがある。

つまり、自分が見ている方が前で、反対に背中側が後ろになる。

基本的に見えている側が前となる

この場合、前後は三人称的な空間の前後に依存せず、自分の体の向き(目の向き・ヘソの向きete…)に依存することになる。

後を向けば、その瞬間に後は前になり、前だったものは後になる。

この視点で前後を捉えたときに面白いと思ったのは、「後ろ歩き・走り」という行動だ。

後を見ながら歩く、というのは進行方向(目的地)を前と定義し、反対の後に視点を向けて進むということ。

定義された後を前向きに見て、定義された前に後向きで進むという状況が生まれる。

視点によって前後の定義が変わる

前後という概念を対象を変えながら状況に応じて理解し、使っているわけだが、我々は特にこの概念について考えたり、学んだりしなくても自然と使いこなせているというのが面白い。


04. 全ての前後に共通していたこと


ここまで考えたところでひとつ、どの視点で前後の概念を見ても共通していることがあることに気づいた。

3つの前後の概念から見つけた共通点。

それは、時間軸的にしろ、三人称・一人称の空間的にしろ、前は見えて(わかって)いて、後は見えていない(わかっていない)ということ。

時間的な前(前日)は、我々が物理的に体験したものであるため、見えているしわかっている。

空間的な前も、我々は目を通してその世界が見えているしわかっている。

反対に時間的な後(後日)は、我々がまだ物理的に体験していない仮想の世界であるため、見えていないしわかっていない。

空間的な後も、我々は目を通してその世界を見ることができないので、なんとなく想像はできるものの、実際の世界は見えていないしわかっていない。

この共通点で前後という概念を捉えると自然で、大きな違和感がない。

しかし、ここまで考えても「前日・後日は対象的な意味になるべきだ」という私の主張は否定も肯定もできない状態である。


05. 前提を疑うということ


ここまで考えて、「私は何を考えていたんだろう」と我に返るような思いつきがあった。

「先」も後の対義語じゃないかと。

「前後」とは別に「先後」という言葉が存在し、その意味は

先後:時や順序の、さきとあと。

goo辞書より

もちろん「前後」にも時間的な意味はあるのだが、「後日」と対象的な意味になるべきだったのは「先日」だったのかもしれない。

私はずっと「後日」をややこしい存在だと思っていたが、ややこしいのは「前日」だったのかもしれない…

(いや、ややこしいのは対義語となる前後・先後が近い表現に混在していることだ)

しかし、ここまでの思考が無駄だったかというと、そういうわけではない。

「行き詰まり、納得ができない時は前提に問題がある」というのはよくあることで、今回は「前後」ばかりに目を取られて「先」の情報を思考から省いてしまっていた。

このように思考の失敗を繰り返すことで、「早く・広く・深く」求めるものに辿り着けると考えている。

「前提を疑う」というのは「頭が働いている」と感じるときほど蔑ろにしてしまうものであることも段々わかってくる。


06. おわりに


今回は普段何気なく使っている言葉の違和感を突いてみた。

言葉や動作など、我々が意識せずに行っていることほど横から見てみると「正しいのか?」「なぜこうなんだ?」とわからなくなる。

全て正しく、というのは目指すべきではないと思うが、正しさが揺らいだときにそのことについて考える必要はある。

考え、知り、わかった上でどうするかを自分で決めることが生きることだと思う。

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