古代ローマの元老院について

元老院と民会の違いについて
元老院は内政、外交、軍事、経済において強い権力を握っていた。元老院は内政では、元老院が属州総督を任命した。外交では、元老院が自国の使節を他国に派遣したり、逆に他国の使節を受け入れたりした。軍事では、開戦を行ったり、逆に和平条約を結んだ。経済では元老院が通貨を発行した。万が一のときに備えて、執政官に独裁官を任命する力を与えたのも元老院だった。
それに対して、民会は提出された法案について議論できなかった。民会はそ法案に対して賛成か反対か評決するだけだった。もし候補者を選ぶ場合は誰に投票するかを選んだ。政務官の仕事は、議会に投票を呼びかける前に、全ての法律を元老院に提出することであった。
ローマ市民は、SPQR「元老院とローマ市民」のような元老院と市民の2つの階級に分けられた。民会は新しい法律を可決し、ローマの政務官を選んだ。元老院の執政官(平民会以外の民会の議長)または護民官(平民会の議長)は、各民会にそれぞれ新しい法案を提案することができ、平民会を含めた民会は議​​論なしで法案を採決した。

元老院議員について
元老院議員になるには執政官や法務官のような政務官を経験している必要があった。逆に言えば、政務官に当選して無事に任期をまっとうすれば元老院議員になることができた。ただし例外もあり解放奴隷(1世代目)とその子(2世代目)はなることができなかった。ただし、解放奴隷の孫(3世代目)は元老院議員になることができた。また、元老院議員になるには一定の資産が必要だった。元老院議員は法律でお金を貸すことと船を使った貿易をすることが許されなかった。また、元老院議員は他国へ行くのに元老院の許しが必要だった。

元老院の開催について
元老院は特定の条件で運営された。通常はクリア・ホスティリアまたはクリア・ユリア(共和政末期)で行われたが、元旦に行われた執政官の就任式はユピテル神殿で行われ、軍事会議はベローナ神殿で行われた。ベローナとはギリシャ神話のアレスに相当する軍神であるマルスの妻である。元老院は日の出から日没までの間のだけ会議を開くことができ、もし民会が開かれていた場合は会議を開くことができなかった。

1:元老院の議長である執政官が考えたい案件や通したい法案を審議するには元老院に提案することが必要だった。
2:執政官が元老院に提案すると元老院議員が集まって会議が始まった。もし会議がある場合は、元老院議員は原則として全員出席しなければならなかった。
3:元老院議員は会議に選ばれた場所の長椅子で会議した。元老院議員は執政官を除けばどこに座ってもよかった。もちろん会議中に自由に席から立ったり、喋ったりすることも許された。一方で2人の執政官は小学校の教室でいう教師の机に相当する席で並んで座った。
4:元老院議員が発言をする場合は、より高い役職に就いた元老院議員の発言の方が早かった。同じ役職の場合はその役職に就いたのが早いほど発言が早かった。一番高い役職に一番早く就いたのが最も権力を握っていた。発言するための持ち時間は日没までならいくらでもあった。
5:元老院議員たちは賛成と反対に分かれて歩いて彼らの意見を明らかにした。執政官は元老院議員がより多く集まった方を採用して評決した。賛成または反対の評決が決まった場合はその会議は終わった。修正案や他の案件の場合は個別に意見が求められて評決を行った。

参考サイト

http://mrssimmons6thss2016-2017.weebly.com/ancient-rome/february-16-2017-ancient-rome-government-republic

https://www.crystalinks.com/romesenate.html

https://anc-rome.info/senatus/

https://note.com/natsuko_tomi/n/n782924207fea

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