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ランボー

ランボー。
シルベスタ・スタローンそのひと自体が
「エイドリアンと機関銃とバンダナ」
みたいなかんじでイメージが固定されていて、
正しい視線で見ることができない。

だから、ランボーも見てなかった。
「たぶんスタローンが機関銃で蜂のようにひとを殺す映画だよ」
と思い込んでいた。

ちなみに、ランボーもロッキーも、スタローンは脚本を書いている。
とくにロッキーは当時まったく売れていなかったスタローンが映画会社に持込み、熱意とプレゼンテーションで映画化までこぎ着けたという背景がある。
主演を有名俳優にしようとした映画会社に対して、役者としての志望があったスタローンは頑として自分の主演を譲らなかったそう。
でもまあ、なんかスタローン滑舌悪いし、顔なんてイタリアン・マフィアみたいだし、主演にしたくない映画会社の気持ちもわかる。
結果、制作費を激減させる代わりに主演を本人にしたらしい。
だから、ロッキーのストーリーはどこか半自伝的だ。

そんなスタローンの一面は、ランボーを観てから知った。
その日、ランボーはたまたまテレビで流れていた。
「ああ、ランボー」くらいの感覚でぼおと見ていたのだが、ラストシーンで泣いた。スタローンいや、ジョン・ランボーは、あまりにも切ないひとだったのだ。

思えば、こんな侮りや先入観でどれだけの感動や発見を見逃していただろう、とふと思う。
分かった気になるな、という言葉は重みのない常套句だが、警告でもある。それくらいランボーは面白かった。30年目の大発見だ。

ちなみに、勢いに任せて「ランボー 最後の戦場」も見た。やはりランボーは切なく、相変わらず強かった。
このまま「エクスペンダブルス」も見ようかと思っているのだが、いまだに「たぶんスタローンが機関銃で蜂のようにひとを殺す映画だよ」と囁く自分がいる。
そして、エクスペンダブルスはたぶん実際にそういう映画なんだと思う。