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なにもない場所で色をもらった

欠けている部分がいっぱいあるから「ひとりで生きられるようにしなさい」と親に育てられてきた。悲しい思いをしてほしくなかったんだと思う。いつも逆境精神でいろんなことを身につけてきた。だけどそれは“コンプレックスを持っている”とまざまざ認識する裏返しで。空虚な気持ちを抱えたまま、素の自分以外をずっと渇望している。

生まれつき難聴で、「聴こえない」を隠さずにいると、からかわれたり迷惑がられた。「聴こえない」を隠して笑ってみると、うまくいった。


そう、うまくいってしまった。


うまくいってしまったから、知らないうちに、ひとりでいろんなことを隠すようになった。

気づいたら、他人に自分を見せることも、自分自身を見つめることも、よくわからなくなって、歪んだ笑いしか出来ない気がした。

自分がうすっぺらくて空っぽに感じた。

ここにいる私は本当に私なのだろうか。






ふたりごと文庫編集室というグループに所属しており、その取材の一環で、はじめて北の大地に降り立った。


ひさしぶりにいろんな人に触れ合った。





まったく彼らと打ち解けあったり深く知らないまま、インタビュー取材をし、町の人の純粋な想いを受け取った。同年代の女の子たちと会話の節々から、それぞれ興味をもって学んでいる別の人生を感じた。


そのとき突然、馬鹿みたいだけど

「人間がいる」と思った。





毎日たくさん人間に会っているけれど、全部にごった幽霊みたいなんだ。ふらふらと周囲に“ある”だけで、私の目の前には“いない”。

もしかしたら私だけが目隠しを自分でしていて、彼らの存在を隠しているのかもしれない。それか自分で透明マントを羽織って、彼らから身を隠しているのかもしれない。

だって見てしまうと、私は歪む。
幼い頃からの習慣で、反射的に“隠してしまう”。

うまくいかなくなってしまうのが怖いから。









北海道の道は、バイクでかっ飛ばしたいと思わずにはいられないほど、気持ちがいいくらいに真っ直ぐだ。朝晩はシャッキリ寒い。田んぼは広い。見晴らしがいい。

実直なまでの『なにもなさ』。

隠すものもなく、むしろ隠してしまったらいけないと思えるものしかなかった。










今までなら、目をそらしたら、そこには別の何かがあった。携帯があれば、辺鄙なところにいても、すぐに雑多なものと繋がれた。

でも何もかもが知らないのに露わになっているその場所では、目をそらしても何もなくて。携帯も幸か不幸か、北海道に来る前に壊れていて使えなかった。

休む間もなく繰り返す移動と取材。思っていたよりハードなスケジュールに、アンテナを常に張り、メモを取り、感じ、考えるのに必死だった。

隠れることも出来なくて、見るしかなくなっていた。



出会いはいつも劇的だ。
にごった幽霊の他人が、パッと立体感を伴って、目の前に、色鮮やかに現れた。




自然の美しさは知っていた。山を抱きしめるのが好きで、風に頬ずりするのが好きで、海と一緒に体を揺らして歌うことが好きだった。

「人間がいる」。

そう“わかった”瞬間、美しくて個性的な自然に負けないくらい、他人がリアルで素敵な想いや強さを持っている魅力的なものだと感じるようになった。
すでにいろんなことをやっていたり、まだ何かに迷っていたり。いちばん歳の近い女の子たちを見ていると、人によっては自分が何も出来ていないように感じて苦しくなったりするかもしれないが、

その時、わたしは純粋に、
「素敵だな。」「生きているんだな。」

それしか思わなかった。

聴こえないことだったり、対人が苦手だったり、なんの立派な目標とかも抱いていない自分に対して、ちっともコンプレックスを抱かなかった。

……いや、抱けなかったのかもしれない。

その地には「なにもなかった」。
でも、なにもないことが美しく、なにもないままが素晴らしかった。


当麻の町は、それをまっすぐ誇りにする。



知らないうちに私はその事実を、とても大切なものとしていた。





『なにもなさ』に救われていた。


だから「なにもない自分」がすんなり受け入れられたのだ。





毎日、色鮮やかな人間に会った。
苦しいと思うこともなく、まっすぐに見つめた。感じた。
触れていると、なんだか自分自身にも色がうつって来るような気がした。

なにもない場所で、自然や人に、わたしは色をもらっていた。







「履歴書には負のことを書かないほうがいい。」
「病気や障がいは面倒くさがられるし受け入れられないよ。」
はじめから諦めるしかないものがたくさんある。隠したほうがうまくいってしまう仕組みの社会で、いくつも病気や障がいを抱えるわたしは頑張って頑張って「脱色」していた。悲しくならないように。悔しくならないように。出来ることをやればいい、という言葉を言い聞かせて、どこかで間違い、「失敗しないようなことをやる」「出来そうなことをやる」ようになっていた。本当の想いを見つめるよりも、うまくいく手段を得ようとしていた。



インタビュー取材で人々の想いが脳裏に流れ込んだ時、迷いのない風が吹き、それに乗って絵の具が飛び散るビジョンが浮かんだ。がらんとした白い空間に、汚い模様だけれど、鮮やかな色がべったりと、存在感を放っているのが見える気がした。

当麻町の風景がうっすらと浮かんでいた。






どこにでもWiFiが飛んでいて、携帯がなくてもすぐに雑多なものに繋がれる灰色の街に帰ってきた。相変わらず人混みは幽霊ばかり。

だけど彼らが鮮やかに生きている人間で、自分もそうだということを、すぐに思えるくらいにはわたしは変わっている。





人間がいる。
わたしがいる。






色鮮やかに、あなたもわたしも生きるんだ。



〜北海道、当麻町の取材を終えて

生きていきます。どうしようもなくても。