見出し画像

No.503 小黒恵子氏の紹介記事-69 (ありがとう多摩川 ごめんね多摩川)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 様々な新聞記事等をご紹介しています。今回は、雑誌に掲載された小黒恵子氏の紹介記事 をご紹介します。内容は、今までと同じ様な内容になります。

ありがとう多摩川 ごめんね多摩川
                Community Paper Tamagawa 1986
 
 お生まれはどちら?と聞かれて、多摩川と答えてしまいます。高津区の小黒さん(詩人)
NHK「みんなのうた」でお馴染みの「ドラキュラの歌」「モンキーパズル」の作詞で有名な小黒恵子さんは川崎市高津区で三百年も続く旧家にお住まいです。小さな頃から多摩川を友とし、兄弟として育ってきました。谷内六郎さんと出会い、サトウハチローさんの門下生となり、詩心を磨き、日本童謡賞、日本作詞大賞など数々の賞を受けられています。作詩ばかりか、動物愛護、自然保護にも並々ならぬ関心を寄せ、多くの活動をしていらっしゃいます。
 「私の生き方は、まさに多摩川から得たものです。流れる川がひたすら大海をめざすように、私も目的に向かって生きていきたいと、多摩川とのつき合いの中で深く心に期したものです。」
小黒さんの思い出話の中で、昔々本当にキレイだった多摩川の姿がリアルに語られます。
 「川は今よりはるかに水量も多く、流れも急だったような気がします。たっぷりと大きな流れはいつも威厳に満ちていました。私の家は流域に畑を持っていましたから、私はその桃畑と多摩川の土手や河原を遊び場として育ったんです。小さな私は背の高い草ごしに背のびして川を見、雨の降った翌日はキレイな石を探しに河原へ下りました。雨のあとにはキレイな石がきっと流れてくるんです。初夏にはあゆ船が行き交い砂利とりの船も上り、下り、河原には夕顔や宵待草が咲き、本当に美しかった。お米を研ぐおばさん、野菜を洗う人、川の流域は青い麦畑、桑畑、桃畑が広がって、農家も点々とあるだけ。こんな景色が、目をつむると今もはっきりと浮かんできます。」昭和10年代の多摩川は、こんなにのどかで美しく、川を中心にして人の営みはあったことがわかります。美しい時代の多摩川を知る者として今の子たちに、美しさを残したくて小黒さんはこんな詩をつくりました。
 叱られたあの日 草笛をふいて
 はるかな土手を どこまでも歩いた
 川といっしょに歩いて行けば
 道にまよわず どこかへ行ける
 緑にかすむ ずっと遠くの
 知らない町を 見たかった   (草笛のうた)
小黒さんの詩のなかには、多摩川で遊んだ日々が綴られているものが多く、この流域に住む私たちの胸に多くのことを語りかけてきます。
    きみたちのふるさとは多摩川、
  東京と神奈川の 握手するところ
とよびかける「ふるさとは多摩川」など、美しい多摩川を知る人が詩に託して子どもたちによびかけています。

●小黒さんからのステキなプレゼントがあります。詳しくは7面をご覧ください。

たまがわ 昭和61年(1986年)7月1日 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、1986(昭和61)年の紹介記事をご紹介します。(S)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?