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こちらが思うより、優しかった人たち

3年間勤めた会社の、最後の勤務日を昨日終えた。

どんなに居心地のいい職場でも、「派遣法」とやらで、派遣社員は3年以上、同じところで働いてはならないと決まっていて、昨日がちょうどその最終日だったのだ。

ここを去るぞと決まってから、不思議現象がいっぱい起きた。極度のめんどがりの私は、毎日のお昼ごはんを「一日分の野菜ジュース」「サラダチキンスティック アヒージョ味」「おかかおにぎり」の3点に決めていて、毎朝それらをローソンで買うことを日課としていたのだけれど、最終週を迎えた頃になってぱったりと、「飽きた……!!」って思ったのだ。

なんかもう、一生分の「一日分の野菜」「サラダチキンスティック」「おかかおにぎり」を食べきった気がしている。

仕事そのものについてもそうだ。来る日も来る日もおなじ作業。これまではなぜかそれが楽しくて、心落ち着く手仕事だったのだけれど、辞める日が決まった途端にぱったりと「もういい……!!」って思ってしまった。

そこからの勤務の長いこと長いこと。「もう終わる」ってことを、心身がすみずみまで心得てからの数週間。

けれど、いざ、その日が来てみると。

いつもと何ひとつ変わらない雰囲気の中で、着々と片付いていく私のデスク。大量に発掘されるマニュアルのたぐい。それらをいちいちシュレッダーする私。何度も止まっては「くずを捨ててください」と主張するシュレッダーくん。ふたをあけて、紙くずを上からぎゅうぎゅう押しこんで、その場をしのごうとする私の攻防。

シュレッダーに吸い込まれていくのは、私の3年間の試行錯誤のかたまりだ。何度教わっても覚えきれなかったことどもを、付箋に書いてそこらじゅうに貼り紙していた。その筆跡。私の。がんばってた。とっても。

こういう業務やオフィスでは、仕事を敢行することが第一目標なので、「人柄」とか「キャラ」とかは二の次なのだと思い知ったのはいつごろだったろう。相手に「ゆかいな人だなあ」とか「微笑ましいなあ」とか思わせる必要は、どこにもないのだ。粛々と仕事をして、粛々と帰る。それが、ここでの、生き延び方なのだと。

最終日の終業時間がちかづいた。みんなの前でのあいさつも、事前に想定していたのでそつなくできた。いよいよ終わるぞと思ったとき、チームリーダーからお菓子の紙袋と、黒くて四角いなにかを手渡された。

「卒業証書です」

表彰状の形をした、寄せ書きだった。

おがわさん元気でねー、がんばってくださいねー、って言いながらみんな帰っていく。私も、もろもろの準備ができたので出ていこうとすると、上司3名が、エレベーターまで見送りに来てくれた。女子2名、男子1名。女子たちのノリに臆したのか、一瞬見送りに不参加しかけた男子も、やっぱり思い直してついてきてくれる。

エレベーターがきて、にぎやかに笑って手を降って、ドアが閉まる。会社を出て、いつもとは逆方向の繁華街方面へ向かい、通りすがりのクラフトビール屋さんに入る。ビールとおつまみ2つほど頼み、いよいよ「卒業証書」をひらいた。

「あなたはいつも ていねいでやさしく ほがらかでおだやかで賞」

「小川さんの明るさと元気で、センターの雰囲気が和やかになっていたと思います」

「個性的なファッションと 優しい雰囲気をかもしだし、周りにおだやかな気を与えてくださりありがとう」

驚いた。驚いたのだ。だって私は、ここでは自分のキャラを封印して、無機質に働いていたつもりだったから。封印、できてなかった。しかもこんなにあたたかな形で届いていたなんて。

思いあがりを反省した。寄せ書きなんて言われても、きっとみんな、私にかける言葉なんぞはひとつも思い当たらないだろうと思っていたけど違った。みんな、私が思っていたよりずっとずっと優しかった。優しかったんだなあ。

一夜明けて、もらったお菓子をつまみ食いしながらコーヒーを飲んだ。外は真夏のゲリラ豪雨。「私が思うより、ひとは、優しい」。そのことを忘れないために、今、この文章を書いている。(2023/08/01)

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