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「バッタモン家族」執筆との向き合い方

約1ヶ月、バッタモン家族エッセイを書いていません。正確に言うと…書けませんでした。

過去の出来事を思い出すのは当然辛いです。ただそれ以上に、自分がしてきた暗い経験を、どうやったら誰かにとっての前向きな教訓として書けるのか難しく、悩んでいました。また、自分と同じ経験をしている・していた人に向けて書くだけでは、不充分なんだと、諸々いただくフィードバックを通して感じていました。

私がこのエッセイを書く目的は、自分の過去を清算して、見えない親の影に付きまとわれないようにするためです。また、自分と似たような経験をしている・していた人たちにとっての、何かしらヒントやキッカケになればと思ってもいます。ゆくゆくは、小さくても、自分のために行動する勇気を示すことができたら…なんて思い描いたりもしています。

「私も同じような経験をしてきました」と、共感を得るのは単純に嬉しいです。ただし、私はそこで過去の自分(たち)がどれだけ可哀想で、ひどい親の元に育ったかという事だけを述べて、慰め合いたいわけではありません。むしろ、それを語ることで過去と向き合い、今の幸せな自分の生活にどう教訓として活かせているかを対比させたいわけです。

「私をぞんざいに扱う親」の存在は、「私をお姫様の様に扱ってくれる人と一緒にいる」という教訓に。

「誰彼に良い顔をして、家の中では粗暴でいい加減」という振る舞いは、「厳しくても、自分が嫌なことでも、正直に向き合ってくれる友人や家族を持つ」という教訓に。

「自分には何の取り柄も、価値もない」という自分自身は、「自分の価値は、自分で学び、生み出していくものだ」という教訓に。

親や育った環境の”悪口”を言うだけなら誰にでもできるはず。そこからもう一歩先に進んで、私が何を感じ、どう”今”に繋げたかを読み取ってもらえるこそ書き手としての喜びなんです。う◯こと一緒に流してしまいたい経験にこそ、学びがあります。お腹が痛くなった経験を活かさないなんて、痛み損じゃないでしょうか?

これまで何度も繰り返していますが、そういう理由で「バッタモン家族」のエッセイは、更新ペースよりも、自分の納得と精神的な安定を優先して書きます。触れるのに気を使う内容が多い、というより、それらの塊のエッセイです。従って、誤解や誇張が少ないように書くことは必須。第三者の目を通し、修正や校正を重ねての投稿を行っています自分目線だけだと、どうしても悲劇のヒロイン日記になりやすいですしね。

時間がかかっても、納得がいくものを書きたい。自分が暗い部分をさらけ出してでも、前述した目的を達したい。そんな思いを持って書いています。

興味のある方、応援して下さる方。これからもバッタモン家族エッセイを宜しくお願いします。


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