幼稚園

【第12話】幼稚園中退

 「明日から、幼稚園に行かなくていい。」

私が幼稚園の年長さんだった時、ある日突然こう父に告げられた。幼稚園時代の記憶などほとんど無い中、この言葉だけ妙にはっきり覚えている。この一言をもって、私は幼稚園を中退させられた。バッタモン家族の日常は、何が起こるのも常に”突然”だ。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*

このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

父から突然発せられた言葉に、子供の私もさすがに戸惑った。

 「明日から?明日、お休みするん?」
 「違う。明日からずっと幼稚園に行かなくていい。幼稚園を辞めるっていう意味や。」
 「…やめちゃうの?なんで?」
 「…お前は、他の子より大きいからや。」

あまり理由になっていない答え。父は私の小さな両肩に手を置いて、あたかも娘をイジメから救ってやったみたいなドヤ顔だったが、対して私はポカンとしていた。たしかに私は幼稚園から小学生まで、同じ年の子よりも頭1つ分抜け出て背が高い子供だった。でもそれだけで幼稚園を辞める理由にはならないはずだ。

私が覚えていないだけで、どこかで父に「幼稚園に行きたくない」と言ったのかもしれない。私は集団行動はできないことはなかったし、お友達や先生とも仲良くしていた。幼稚園が嫌いだったわけでもない。当時の私としては、辞めなければならない理由はどこにも見当たらなかった。しかし、幼稚園児の私に拒否権はない。「行かなくていい」と言われたらそれに従うのみだ。

同じように母にも質問してみた。

 「なんで、幼稚園やめなアカンの?」
 「…お父さんがそう決めたから。」

こちらもまた理由になっていない。疑問にもやもやしつつも、私は口をつぐむしかなかった。「これ以上聞くんじゃない」というオーラが両親から発せられていたからだ。

 (変なのー…私だけ幼稚園やめるなんて!)

と、深く考えないようした。我が家では、「聞かない・考えない・反抗しない」の暗黙の3原則があるのだ。疑問は解消されないのが当たり前。追求すれば怒られる。

幼稚園を辞めてからの私は生活リズムが乱れた。早起きはもともと苦手なうえに、とにかくよく眠る子供だったため、布団から出るのはだらだらと11時くらい。起きてからはずっと家にこもって絵を描いていた気がする。例のことがあった、カウンターとイスの場所で。幼稚園を辞めてしばらくは楽しかった。自由な時間に起きて、大好きな絵を思う存分描けたから。だけどそこはやっぱり子供。だんだん単調な毎日には飽きがくる。自営業をしていた両親はいつもそばにいるが、忙しいため、機嫌よく相手をしてくれるのは1日の中でもわずかな時間だけだ。次第に同年代の子供と遊べないのが、私の大きなストレスになっていた。

そんなある日、率直に父に疑問をぶつけてみた。いくら静かな子だとはいえ、私だって友達と遊びたかった。

 「ショーガッコウは、いつから行くの?」

年長さんで幼稚園を辞めたから、次は小学生というのはわかっていた。でも、それがいつから始まるのかは分からなかった。

 「小学校はまだちょっと先やな。」
 「いつ?」
 「あと半年くらいやな。」
 「ハントシってどのくらい?」
 「…」
 「お父さん、ハントシっていつなん?私、お友達と遊びたい!」
 「半年は半年や!お前は、黙って待ってたらええねん!わかったか?!」

怒鳴り声を頭の上から叩きつけられて、反射的に喉が”キュッ”と閉まる。それ以上声は出て来ない。例の3原則の通り、小さく頷き、絵を描く道具を持ってその場を後にするしかなかった。

 (お父さんもお母さんも嫌いや…怒ってばっかりで、何もちゃんと教えてくれへん!)

小さかった私は1人でどこにも行けない。だから辛い時は、誰もいない部屋にこもるしかなかった。そこで他には発散できない気持ちを、黒のクレヨンでグリグリ紙に書き殴るのだ。クレヨンが文章になっただけで、「書き殴る」のが今も昔も私のストレス発散法だ。

そんな生活が半年続き、待ちに待った小学校入学。私はもちろん踊り出したいほど嬉しかったが、この時は、同じく父も嬉しそうだった。家の棚に飾ってあった入学式の写真には、優しく微笑む父の姿があったことを覚えている。

肝心の幼稚園中退の理由だが、もちろん最後まできっちりした説明はなかった。おそらく「家計が厳しかった」のが理由かなと、大人になった今は思う。だから仕方なく、私は幼稚園を辞めるしかなかったのかな、と。当時の両親の目線から考えれば、彼らは私に申し訳なく思っていたけれど、それを上手く説明できなかったのかもしれない。いや、そう思うことにしている。事実はどうであれ、どうせ今捉え直すならば、少しでも良い考えにしたい。その方が彼らにとっても、私にとっても幸せというものだ。

ちなみに、私の学歴に関する”ネタ話”は幼稚園中退だけではない。高校はなんと(ギリギリ)卒業したものの、卒業証書も、卒業アルバムも卒業生で一人だけ受け取ることが出来なかったのだ。そして例によってこれもまた、バッタモン家族ならではの理不尽な理由からだった。…と、今日はこのあたりにしておいて、これに関してはまたどこかの機会に詳しく話そうと思う。

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