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【第8話】私には友達が少ない。

「♪ともだちー100にーん、できるかな~♪」

と、習った歌を得意げに歌っていたあの頃。小さな頃の私は、友達が100人に届くことなく、早速出鼻をくじかれていた。お察しの通り例の父に、だ。小学校の当時、誰かと友達になるには父の許可が必要だった。まるでフェイスブックの友達申請みたいに。

*読む時のお願い*

このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*

このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

登場人物紹介はコチラ→『バッタモン家族』



単刀直入に言って、私には友達が少ない。今日はその理由を書こうと思う。

まだまだ純粋で、好奇心旺盛な子供の頃の友達関係というのは、人の心を豊かに育てる為に大切な時期だ。ただ、小さな頃から父からの抑圧の中で生きていた私の心は、人間関係という”花”の育て方がよく分からなかった。充分な水や日光をあげずに枯らしてしまったことも数えきれない。それに伴って、文字通り心が少しずつカラカラ乾いてしまったのだと思う。

なぜ子供の頃の友達関係が大切か。色々理由は上げられるが、私が一つ大事だと思うのは、ケンカして仲直りする方法、友達を傷つけてしまった時の対処法、落ち込んだ子の励まし方、一緒に遊ぶ楽しさなど、友達関係を維持する中で、失敗して、自分で考えて感じて、行動することを学んでいくからだと思う。

残念ながら、我が家はその点に置いても問題児ばかりなのだ。例えば、私が友達とケンカして悩んでいても、ろくなアドバイスがない。

 「嫌ならそんな子付き合わへんかったらええやん。」

いやいや。それって百歩譲って私が相手のことを嫌いならまだしも、今の私、真剣に悩んでるから。私の大事な友達のこと、「献立が気に入らんかったら食べんかったらいいやん」みたいに言わんといて。
 
 「お前が悪いんやろ?」

それもあるけどさ。それって、そんな頭ごなしに言うこと?怒りが収まった今、友達に申し訳ない気持ちでいっぱいで落ち込んでるのに。自分の気持ちにちゃんと向き合えるような一言を期待していたのに。

とにかく、子供のために考える気が”ゼロ”なのだ。娘の私の悩み事なんて、テレビのニュースに向かって吐く独り言と、扱いは大して変わらなかった。家族の誰に聞いても反応がこんな感じで、何に関しても全く当てにならない。そんな私に残された選択肢はふたつ。なんでも自分で何とかするか、あきらめるか、だ。

しかしながら面白いことに、”誰かとこれから友達になる時”には、全く逆の事が起こった。友達づくりは「父の許可制」だったのだ。特に、小学生から中学の頃までは酷かった。

 「〇〇ちゃんと遊んでくるな〜♪」
 「アカン!」
 「…え!?なんで!?もう約束してるのに…」
 
理由がこれまた理不尽極まりない。遊び相手の子が片親だから。親がスナックで働いているから。漠然と”ろくでもない親”だから…など。全て、父の偏見以外のナニモノでもないのだ。例えもしそれが全て本当だとして、私が後悔することになったとしても、私が理解も納得もできないまま、勝手に子供同士の仲を引き裂かないでほしかった。

 「いやや!遊びに行くもん!約束してるもん!」
 「アカン!家にいろ!」

私が勝てるはずもない、不毛なやりとりを繰り返す。最終的に私はうつむいて黙るしかない。その横では、父が母に「アイツを見張っとけ!家から出さすな!」と(また)怒鳴っている。何に関してもそこまで怒られると、一周回って、彼の血圧や精神状態なんかが心配になる。

私が家に”いなければならなかった”ちゃんとした理由は、実は未だにわからない。ただ、ここで触れたようなボロ家の自室に「鍵」なんかはない。いつまでもそんな理不尽に言うことなんて聞きくか!と、ちょこちょこ勝手に遊びに行ったりもした。ただ、私が外に行こうとすればするほど両親の監視の目は厳しくなり、徒歩5分のところにあるスーパーにおやつを買いにいくだけでも、疑いの眼差しと小言が飛んでくる。私は親の所有物じゃない。子供でも感情や考えがある。自分たちは好き勝手してるくせに!と心の中でだけでしか、私に抵抗する術は残されていなかった。

小学校高学年くらいを境に、私は父に反抗するのをやめた。理由は簡単、黙ってれば怒られないからだ。その頃までには、遊びに行きたいと言うときの言葉遣いも「〇〇ちゃんと遊んでくる!」から「〇〇ちゃんと遊んできていい?」と許可を求める言い方に自然と変化していた。立派に”調教”されてしまったわけだ。

父の「ダメ」は覆らない。ダメをもらったら、ドタキャンするしかない。

 「あの子、ドタキャンばっかりする。」
 「お父さんにあの子と遊んだらダメって言われてるから誘うの止めよう。」

と言われていたのも知っている。当然だ。私にもし毎回約束をすっぽかすような友達がいたら、たぶん同じことを言うと思う。

一連のことに関して、父にそんなつもりはなかったのかもしれない。彼なりの方法で、私を守ろうとしていたのかもしれない。でも私の本心は、大切にしている宝物を無理やり取り上げられ、目の前で捨てられている気分だった。その度、怒り魔人の理不尽王め。と心の中で毒づくしかなかった。

人は、大切なものを捨てられていくと、大切なものを作らないようになる。捨てられて、その都度、傷つかないように。

さすがに私が高校になる頃には、渾身の抵抗を繰り返して、いくらかはマシになっていった。でも同時にその頃までに、私の心はカラカラになっていた。常にムスッとして、自然に人を寄せ付けないようになってしまっていた。

高校卒業後、私は親元を離れた。許可を得なくても友人を作ることができ、その頃からようやくまともなトライ&エラーを繰り返しだした。高校の頃の流れで、友達が中々出来ないことを親のせいにしつづけたり、そもそも人間関係の築き方が分からなかったりと苦労もしつつ…私の人間関係の”花”がようやく育ちだした。

こんな私にも今では、心から信頼できる友人たちがいる。「友達」と思い出す顔が何人かいて、その人たちには日本に帰るたびにお世話になりっぱなしだ。何年顔を合わせていなくても関係ない。大事な大事な、正真正銘の「私の友達」だ。

今の所、彼らからは与えてもらうばかり。温かくて、愛情深くて、おもしろくて、どんなときも頼って信頼できるその人たちから、友達関係の”育み方”を学ぶ日々。彼らのおかげで、自分がまっすぐひたむきでいれば、手を差し伸べて大切にしてくれる人が現れる、と希望を持つことが出来た。恐らく高校の時のように、ムスっと人のせいにばかりしている不機嫌な人間のままなら、今もバッタモン家族のような人に囲まれてたかもしれない。

繰り返すが、父のことは恨んでいない。むしろ、反面教師として感謝しているくらいなのだ。

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