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【第14話】人のせいにするな。

5年前にバッタモン家族を抜け出せたのは、今の旦那さんの厳しい言葉がキッカケだった。

 「変わりたいなら、何かを”大きく”変えないと状況は良くならないよ。」

あの時は、「どうせ他人事のクセに」と思っていた。でもその言葉がなければ、今もバッタモン家族に悩まされていたかもしれない。今思えば旦那さんには、心から感謝している。

誰にでも男女間の問題、仕事環境、親子間の問題があると思う。

 「あの人のせいで…自分は幸せになれない。」
 「環境のせいで、やりたいことが何もできない。」
 「変わりたかったら変わるわよ!それができないから困ってる」

と、言う人が多い。ふざけんなよ。変化が怖いだけやん。人のせいにするな。『引き寄せの法則』じゃないけど、待ってても何も変わらないから。

そう言うと誰かに「あなたは強いから、ひどい家族の中でも、まっすぐ育ったんでしょ。だから人のせいにせずに、変わることができたんでしょ?」と言われたことがある。

 (は?想像したことある?人格を否定されて、生きる価値まで否定される。それでも自分を愛してくれない親を大事にした気持ちが分かる?ぞんざいに扱われる気持ちが…)

私は強くない。自分の人生を自らの手で終わらせてやろうか!と思ったこともある。それは痛そうやし、苦しそうやからしたことないけどね。私も「父親のせいで、幸せになれない」と思ったことだってあるよ。だからなのか、父親に似た男性を好きになったこともある。思ったとおり、疑心と不安でいっぱいで、とてもじゃないけど”幸せ”にはなれなさそうだった。

 「父親と同じような男と結婚したとしたら、私の人生、お先真っ暗。死ぬまで誰かに縛られて、ぞんざいに扱われるなんてごめんやわ。」

ふとした瞬間、何かが振り切れたようにそう思った。それからだ。私が人や環境のせいにするのはやめたのは。幸せになってやる!その気持ちが、私を突き動かしてたと思う。

親に虐待されたから、自分も子供に虐待する。父親かダメな男やから私も良い男と結婚できない。「蛙の子は蛙」という言葉に従って、そう言われることもある。そう諦める姿も目にする。

でも私からすれば、それは全部思い込み。私は父親とは真反対の人と、幸せな結婚生活を築いている。旦那さんは性格が穏やかで、私のことを一番に考えてくれる。私と同じように虐待されて育った友達も、常に子供のことを一番に思う立派な親になっている。それは一重に、人や環境のせいにしなかったからだと私は思う。

どうすれば幸せな自分になれるのか。よく考えてほしい。環境がどうであれ、人間関係がどうであれ、誰もが自分の幸せについて必死で頭を回すべきだ。

親でも、恋人でも、友達でも、上司でも、アナタを大切にしてくれない人に愛情を与える必要はない。相手が「そんなんしてくれて、当然やろ?」と思っていると、アナタが我慢することしかできなくなる。アナタが人を変えることはできない。相手が自ら良く”変わろう”と思わない限り…。だけどその人たちに見切りをつけて、自分から離れたり、誘う手を断ったりして、”アナタ自身が変わる”ことは今この瞬間からできる。

「大切にしてくれない」というのは、アナタに罵声を浴びせる、叩く、束縛する、お金や体目当て、嫌なことを押し付ける、パシリみたいにするという意味。

「愛してくれるからこそ…」と思う人もいるけど、それは言い換えれば”利用”という自分勝手な行為であって、”愛情”でも何でもない。本当にアナタを思ってくれる人は絶対そんなことをしない。守って、安心感を与えてくれて、時には厳しくもあり、応援してくれて、元気な気持ちをおすそ分けしてくれると感じるものだ。

人にはそれぞれに辛いことや悲しいことがある。誰かとその悲惨さを比べることはできない。悲惨な経験から抜け出すのも容易ではない。でも環境や出会う人だけで、その人の一生が全て決められてしまうわけじゃないねん。劣悪・悲惨な環境でも、自分が逃げ出そうと思ったらできる。

私にそのキッカケを作ってくれたのが、今の旦那さんだった。

 「変わりたいなら、何かを”大きく”変えないと状況は良くならないよ。」

この言葉を聞いた時、「私の何が分かるんよ!簡単に言わんといてや!」って怒りを爆発させた。

でも怒りが収まって、落ち着いて考えた時、

「私はずっと誰かに助けてもらおうとしてたんやな。待ってても、誰も助けてくれへん。自分でどうにかするしかないんや。今まで人に頼りきったままでは何も変わらんかったやんか。」

そう思った。

例えば目の前で、集団リンチを見て助けられる?小さな子供が父親に踏みつけられたり、グーでパンチされても助けることができる?アナタよりも体が大きくて、明らかに強面な男性だったとしたら?イジメは?1人がいじめられて、助けたいけどその子を助ければ自分がイジメられる。見て見ぬふりをせずに立ち向かえる?

…「誰かが通報するやろ。巻き込まれたくない」と思うのが普通だと思う。中には行動してくれる人もいるけど、ごくわずか。

バッタモン家族は毎日、飽きることなく、近所に響き渡る怒鳴り声や物が壊れる音がしていた。それでも、警察や近所の人が来たことは一度もない。みんな聞こえないふり。見ないふり。明らかにヒソヒソ話をされていることだってあった。その気持ちは分からないでもない。だって当事者自身、「早く嵐が過ぎ去って!」と恐怖が過ぎ去るのを見て見ぬふりをしているのだ。周りに居合わせた人だって、そんなの関わるのが怖いに決まっている。

虐待で亡くなった人のニュースを見て「誰かが助けてあげたら良かったのに」という声も多い。でも実際は、その”誰か”は中々現れない。そうして助けてくれる”誰か”を待っている間に、亡くなってしまうのだ。さっきも言ったように人は厄介事に巻き込まれたくないものだ。例えば小さな子供は周りの大人が気づいて、行動してあげないと1人ではどうしようもできない。でも大人なら考えて対策を講じたり、逃げることもできる。

だから自分で行動しなアカンってこと。

助けを待ってたらアカンってこと。

自分を守るために。自分の大切な人を守るために。

環境や周りのせいにしてる場合じゃないねん。

人と自分を殺める以外の方法で、自分の”幸せ”を考えて。

逃げる、公的機関に相談する。信頼できる人にかくまってもらう。

典型的に、DVや虐待は自分たちだけでは解決が難しい。我慢するほうが、短期的には”楽”だからだ。でも、我慢をこじらせた結果、私は警察の人にすら「逃げなきゃ殺されるよ」と忠告を受けた。我慢していればいつか良くなる…はずはないのだ。

助けを待つ…我慢して”無いこと”にしてしまう…人のせいにし続ける…思い切って逃げる。

それらの判断は自分に委ねられている。逃げると決めたら、あとは勇気の問題。

私は、環境を変えるために逃げた。それまでの生活を捨てて。同時に、「父のせいで…」、「この家族のせいで…」なんて思うことを止めた。そこに希望はないから。そして、海外に来た。あの時、逃げてよかった。

今は「父のせい」にしてもないし、彼を恨んでもいない。私に関わることなく平穏に過ごしてくれればいいと思っている。他への恨み、辛みは自分も不幸にするからね。私は前に進んで幸せになったから、バッタモン家族のみんなは、どこかで元気でいてくれればそれで十分嬉しいと思っている。許すのも、受け入れるのも難しい。思い出すだけで腸が煮えくり返るような、どす黒い気持ちだってまだまだ消えてはいない。でもそういうことは、時間が解決していくのかもしれない。

最後に、改めてこの記事で言いたい大切なことは…

人のせいにするな。

逃げろ。

自分の幸せは自分の行動で決まる。

行動すれば、必ず物事は変わる。

大丈夫。


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