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【第11話】忍び寄る黒い影

今のところ、『バッタモン家族』エッセイを笑い話として書いている私。人から見れば、「辛い過去からうまく立ち直れたんやな」と思うかもしれない。私自身も、「変な家族に囲まれていたな〜」としみじみ思うくらいだ。今まで”トラウマ”と呼ばれるものを意識したことはないけど、私にも似たようなことはある。今日はそのことについて書こうと思う。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

登場人物紹介はコチラ→『バッタモン家族』

短気な父とヒステリックな母。「両親」という単語を聞いて、真っ先に私が思い浮かべる彼らの表情はいつも怒っているか、悲しんでいるのだ。笑顔を思い出すことはできるが、ぼんやりとモヤがかかっている。耳がキーンとなるくらいの大声で怒鳴り合う2人を見てきたせいなのか、私はいつの間にか「子供」でいることを忘れてしまった。

最近気がついたのは、私の元の性格は泣いて感情を発散するということ。子供の時も泣き虫だった。だけど声をあげて泣くと、「泣くな!うっとうしい!」と父に怒鳴られていた。その怒鳴り声で一瞬ビクッと体をこわばらせるが、わかってもらえなくて、私はまた泣き出すのだ。本当は「どうしたんや?」と聞いてほしかった。泣きしゃっくりですら、怒鳴られる始末。

 「うるさい!そのしゃっくりも止めろ!泣いたらなんでも許してもらえると思うな!」

違う、泣けばいいと思っていない。勝手に涙が溢れてくる。自分でも感情をどう表せばいいのかわからない。だけどしゃっくりを止めなきゃ、父の怒りは収まらない。ヒック、ヒック。鼻と口を押さえて、どうにか止めようとする。でも落ち着くまで、止まるはずがない。トイレに駆け込んで、治まるまで父の前に行かないようにしていた。

母も同じだ。私が話を聞いてほしくてモジモジしていると、イライラした様子で「何?!」と言う。その言葉にビックリして、「あ、あんな…えっと…」と、頭の中が真っ白に。

 「はっきり喋りなさいよ!何なん?!用事ないんなら、そこどいて!」

完全に萎縮して何も言えず、クルリと向きを変えて別室に行く。誰も話を聞いてくれない。泣いたらダメ。それでも、悲しみで溢れる涙に対して「出てくんな!」と自分で怒っていた。

成長するうちに、私は人前でもなるべく泣かないようにしたし、両親の前ではほとんど泣くことはなかったと思う。1人で静かに泣くようにしていた。小学校高学年になったら、周りの大人からは「しっかりしてるねぇ。大人びているねぇ」と褒められていた。だけど私は駄々をこねて甘えたい。感情をハッキリ表す妹が羨ましかった。私もそんな風にしたい。でもできない。「お姉ちゃんだから我慢」…と、両親から言い含められた”呪縛”が、文字通り私を縛っていたからだ。

泣かなければ怒られない。私は中学生になってからは感情を「怒り」で表現するようになった。両親と同じだ。もしかしたら、両親も泣きたかったのかもしれない。でもできなかったから、いつも怒っていたのかもしれない。

私は辛いこと、悲しいことも「怒り」に変えていた。ひどい言葉で周りに当たり散らしていたと思う。これこそ両親と同じやり方だ。私は両親に似ていく自分にも腹を立て、自分を嫌いになっていった。家では辛くても笑って、「私は大丈夫」って繰り返し自分に言い聞かせてた。

だけど、いざバッタモン家族から抜け出した時に「泣いていいんやろうか…誰かに怒られる?」と感情の行き場がなかった。辛くても愛想笑いをし、根拠も何もないのに「大丈夫」と言うクセは中々抜けなかった。

今はそんなふうに私を抑えつける人はいない。だけど突然不安になったり、悲しい気持ちになったりすると…

 「お前には無理。」
 「弱いな。」
 「泣けばすむと思ってんのか?」
 「お前には価値がない。」

と、家族に言われたヒドイ言葉が頭の中でこだまする。その声は、最初は小さく遠くの方から聞こえ始めてどんどん大きくなり、ふと気づけば私のすぐ後ろから、黒い影となって私を支配しようとする。

怒って母に手を上げたり、耳をそむけたくなる暴言を私に吐き散らしたり、怖い顔で私を追いかけてきたりする父の夢を見ることもある。何日も続けて見ることもある。起きたら寝汗をびっしょりかき、夢で見た光景があたまにこびりついて離れない。流行りの歌みたいに、何度も何度も何度も何度も頭の中で再生されて、私を余計に追い詰める。

それに囚われてしまうと、時々気が狂いそうになる。過去はそう簡単に私を解放してくれない。耳を塞いでも、目をつぶっても「お前が自由になるなんて許されるわけがない」って黒い影が笑いながら囁いてくる。過去のフラッシュバック、両親の顔、子供の頃の自分が1人で膝を抱えて、メソメソ泣いている姿が浮かぶ。

だけどある瞬間に、

 「しょせん、心の声や。誰ももう私を傷つけへん。私が勝手に過去にこだわってるんや。」

そう思った。

 「あー!もう、うっとうしい!私はもう支配されへん!ソッとしといて!」

頭の中にいる影に向かって、心の中で叫ぶ。そうすると影はピタリと動きを止めて、シュルル…と小さくなっていく。この影は意外に臆病なのだ。単におどろおどろしく現れて、私を小さく、影自身を大きく”見せかけて”いるだけだったのだ。

自分で自分を否定して、傷つけて、環境のせいにするのは簡単。バッタモン家族から抜け出せても、自分が過去にこだわっていたら何も変わらない。それこそ、自分自身も”バッタモン”としての存在で居続けてしまう。そんなの、馬鹿らしいじゃないか。

今書いたことが”トラウマ”と呼べるのかはわからない。”トラウマ”を掘り返すことに興味はないけど、その影とは今後も共存していかないといけない。存在を否定して無視し続けたり、消し去ってしまうことはできないのだから。

それに気づいてからというもの、影が大きくなってしまうのを減らしていくようにしている。「私、すごいやん」、「できてるやん」、「成長してるやん」って認めて自分を肯定してやるのは、影を大きくしない一番のコツのようだ。

今では私本来の性格である「泣き虫」が顔を出している。ネガティブな感情は自分の外に”排泄”してしまわないとダメなのだ。ウ◯コと一緒で、ためると体にも悪い。「泣いてもいいんやよ」、「どうした」、「大丈夫や」って聞いてくれて、落ち着くまでそばにいてくれる人の存在も大きいと思う。私はもうバッタモンではなく、”本物”の私でいてもいいのだ。

約22年間おろそかにしてきた知識や、感情表現、人間関係の作り方を取り戻すのは大変だ。けれど、私は前に向かって進んでいる。

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