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「4畳半生活」に戻りたい

母になってから・・・
丸切り1人という日があったことがあっただろうか
たまに戻りたくなる あの4畳半の部屋


人生でほんの少しだけ 一人暮らしをしたことがある
純粋な一人暮らし?では ないかもしれないが

ほぼ実家暮らし

高校生で 父と離れてから 20代後半まで 
ずっと家族(母、妹、猫)で暮らしてきた
家族が鬱陶しい と思ったりしながらも
実家から出ず 一人暮らしをしたことがなかった私

彼との同棲に「ちょっと待った!」

ある日母が言ったのだ
「ひとり暮らしもいいもんよ 一生に一回くらい 一人で暮らしてみたら
近くにできたシェアハウスでも 見てきたら?」

当時付き合っていた彼と 同棲しようかなんて話が出ていた頃だった
思い返せば母は「この彼と同棲、結婚をしたら 娘が苦労する もっと広い世界を見てほしい」と思っていたのだと思う

4畳半のシェアハウス

実家から目と鼻の先に シェアハウスができた
キッチンや シャワールームは共用
個人の居室は 4畳半
当時の彼は シェアハウスに住むと言ったら
「なんのために?」と言って 目を丸くしていたが
簡単な荷物を持ち込めば住めるので 気軽な気持ちで住み始めることにした

リビングで「ゆる国際交流」

100を超える居室がある シェアハウスだった
近隣の専門学校や大学から 留学生が入居してくる場所だった
日本語を話せる人が多かったので 
私の語学力は全く上達しなかったが 
学生寮のような雰囲気で リビングに集まっては
それぞれの国の料理を振舞ったり ワールドカップを観戦をしたり
パーティーをしたり 酒を飲んで夜更かししたり
大学時代に戻ったような 雰囲気だった

隣人は一生の親友に

隣の部屋に住んでいたのは 台湾人の女の子だった
すぐ仲良くなり 毎晩のように お互いの部屋を行ったり来たりした

「これ作ったから 部屋で一緒に食べよう」だの
「論文に書いた 日本語を添削してくれ」だの
「日本人の男の子に ご飯を誘われたけど どう思う?」だの
なにかと理由をつけては お互いの部屋を 行ったり来たりしていた
毎日のように 一緒にいたので 
今や「親友」を超えた 姉妹のような関係である

4畳半の私の部屋

4畳半の部屋にあるものは
ベッド、冷蔵庫、電子レンジ、テーブル、いす、タンス
たったのこれだけ

衣類は入りきらないので 季節ごとに実家から
運んで入れ替えるほど 狭かった
でも この4畳半での生活は 自分にちょうど良くて
居心地がよかった

・親友が隣に住んでいる
・誰かと話したくなったら、リビングへ
・お腹が減ったら、誰かがご飯を恵んでくれたりする
・ただいま、おかえり位を言い合える仲間が必ずいる
・部屋が狭いのでほぼ歩かなくても、手が届く
・共有スペースは管理されているので 掃除するのは居室のみ
・家族から干渉されない
・彼と距離が保てる

静かな夜と窓からの景色

4階の角部屋の 私の部屋からは
小さく赤く光る 東京タワーが見えた
オシャレでもなんでもない
ただの狭い部屋だったが
人と話したくなったら リビングに降りて行き
1人になりたくなったら 部屋の扉を閉めればいい そんな自由な生活だった

仕事から帰って 疲れた夜は
部屋を暗くし 好きな香りでいっぱいにして
小さく開けた窓から 東京タワーをぼぉ〜っと眺める

誰にも 邪魔をされない空間」で
ひとりの時間を 静かに静かに 過ごしていた

母になった今

母になった今 「夜が静か」ということが まずない
夜になるほど 騒がしくなる
ありったけの力で 子どもらがチャンバラごっこをしていて 耳をふさぎたくなる
超絶 URUSAI YO!!
同じ夜なのに どうして こうも違うかな・・・と
たまに あの4畳半の部屋に 戻りたくなる
「誰にも邪魔されない空間」で 一人過ごしたくなるのだ
とはいえ 次の日には さみしいとか言って 
すぐ帰ってくるんだろうけど・・・

人生を変えた「一人時間」

このシェアハウスに 住んだことをきっかけに
一人の時間を持て いろんな人と知り合った


その結果 母の思惑どおり?
当時の彼とは 同棲する部屋を契約したものの
最後の最後で お別れになった
そうでなかったら 割と苦労した人生を送っていただろう(笑)

その後 同級生だった 今の夫と再会し 結婚することになる
人生を変えたと言ったら 大げさだが
このシェアハウスに 住んでいなければ 
私は夫とこの子どもたちとは 家族になっていなかっただろうと
4畳半の部屋と 母に 今でも感謝するのである

母さん ありがとう


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