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人生に役立つ開き直りを身に着けたい

『人生は人に見せるものでもない』
って気持ちが心のどこかにあると
いざとなった時『自分のため』に生きられるスイッチを自分でグィッと押せるようになる気がします。
『自分が納得すればそれでいい』って思えることは、
心持ちがかなり楽になると思いますので。

生きていると様々なものが
他人の評価に溢れていますよね。

子どもの頃から他人の評価を軸に
いいこと、悪いことを学んでいたり、
流行るものとかも他人発信のものだったり。。

SNSに関しても他人の評価によって
自分の幸せを測ってしまうとか。。。。

結構日常の中に『他人の評価』というのは
自分にすごく関わってるとおもうんです。
私も見捨てられ不安が強いので
他人の評価というか。。私の場合はもっと原始的で、目の前の人の機嫌が気になります。
大切な人の顔色が気になるのです。


やっぱり人に認められたり、
人に褒められたりされるのはとっても嬉しいことなのでそれはそれで受け取っちゃっていいと思うんですけど
心が苦しくなる時は『それだけになる時』だと思うんですよね。

人の声や人の評価というのは
不安定なものですしその人次第で真逆の声になることもあるぐらい信用できないものなんですよね。
文字通り『気分次第』


それなら自分の気分のほうがコントロールきくと思うんですよねー。

人の評価を気にしすぎると、
失敗できないとか
正しくないといけないとか
自分に厳しくなりすぎてしまうし、
完璧主義というのは苦しいですからね。。


大体、人の言葉で
『あなたのために言ってるの』とか
『心配してる』とか
『危ない目にあったらどうする気?』
『あなたのこれがダメだよね』
みたいな言葉って、心配からのアドバイスのようで支配ですから。。
人の評価なんか。。コントロールみたいなもんなんだと思うし、
相手にとって都合のいいことをいいと言って
行動を制限したり
都合が悪いことを邪険にしてるだけのような気がしますし。。

その支配の最中。。
私は相手に疑問を持ってたんです

『本当に私が危ないことになったとしたら。。』
『本当に助けてもらいたい日があったら。。』
『その人のいう心配が当たったら。。。』

この人は全力で守ってくれるんだろうか。。
心配の状態でこんなにイライラして怒って見えるのに
この人は怖い目にあった私を抱きしめて安心させてくれるんだろうか。。
っていう疑問です

なんか。。。どっちにしても怒られて
どっちにしても罵られて、どっちにしてもホレみろ!!みたいな状態に
なりそうだなと。。。笑
ダブルバインドってやつですね


でも実際その人の言う不安や心配な出来事というのは
起きたことがありません
親や様々な人が私に言ってきた
『こうなるかもしれない』『危ないかもしれない』
『心配で言ってやってること』が
実際に目の前で起きたことはないのです

なんというか私に危険なんか。。なにもないのに

私のイメージは『危ないことに巻き込まれる』『人を心配させる』
『人に迷惑をかける』『人の気持ちもわからない』
『一緒にいると疲れる人間』
として勝手に作り上げられて邪険にされ
危険な人間として決めつけられて来たのです
(投影)


人の言葉
人の評価ほど当てにならないものはない気がします

私たちはみんな自分の人生を生きているし
むしろ自分の人生しか生きられないので
人の評価に苦しんだとき
人の言葉や行動に苦しんだときは

『自分は今、苦しい』とか『悲しい』という『自分の気持ちに焦点を当ててみる』ってしてみるといいかもしれません

他人と自分の気持ちを別々に考えることができて
それは心の境界線の役目をしますから。

人生に人は必要ですし
人の評価も、褒められたりすれば嬉しいものなので大切ですが
自分は自分の人生を生きていて
人に見せるものではないと心の何処かに小さく境界線を引いておくと
予想もできないことをしたり言ったりする人に出会っても
『自分』の軸を他人に渡すようなことは避けられるかもしれないので

支配的な人にターゲットにされやすい人は
自分を意識する力をつけておくと少し安心かもしれないですね


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