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自己犠牲について考える


私は自己犠牲がものすごく強い人間なんですよ。

人は外ヅラでお付き合いできる時は
かなり優しいですからね。。
どんな人も。
でもその仮面が取れてきた時。。
その人の最初の優しさが心に残っているうちに
支配が始まるのですが、
その人を信じたいと思う気持ちが、自分の傷をなかったことしてしまうし、
一度は大切にしてくれた時間があると言う期待が拭えないので
粗末にされている、
大切にされていないと感じると、

自分が尽くすことでまた大切にしてもらいたい
自分がまずもっと居心地良く大切にするから
大事にする気持ちを思い出して欲しいと
思ってしまって、自己犠牲を強める気がします。

それはもう相手の欲しがるものを全て叶える勢い。。。(このへんイネイブラーが強く出ます)


相手が優しくなってくれるなら
自分がどんなに傷ついても耐えられる

相手がニッコリ笑ってくれるなら
今どんなにつらくてもその痛みを感じないぐらい幸せになれるという期待が大きく出るんです


でも実際。。
人を粗末にできる人は
人間を見下せる人なので

一度でも下に見た人間を
また対等の目で見ることは不可能なんですよね。


その人を下に見ると精神状態は
その人の自己防衛かもしれませんし
見下して傷つけることで
自分の方が上という上下関係なのかもしれませんし。。

わからないです。。

でもそんな状態になっても
私は愛される努力をやめられなくて
ずーっと自己犠牲をし続けてしまう。。


この根っこには多分
大きな恐怖があるんですよね。

『1人じゃ何もできない私』
『誰かに頼らないと生きれない私』
『価値のない私』

これは育ちで植え付けられたものだと思いますが、この自己犠牲の匂いを
やはり支配的な人は嗅ぎ分けられるので
ターゲットにされやすいのです。


これは。。どう付き合っていけばいいんですかね。。
私もまだまだ考えの途中なんですけど
知識をつけることで
過去の私のような無謀な自己犠牲や
自分の仕事、お給料、貯金などをまるまる差し出してしまうような気の引き方というか
相手に対してのすがり方というか。。

そういうことをしないでいい自分にはなって行きたいです。

自己犠牲の下にある
大きな見捨てられ不安の傷。
見捨てられ不安というのは居場所がない孤独から作られていくというのを
私的には認識してるので
また見捨てられ不安に関しても何か書きたいなと思ってます。

少しずつ。
私の心が整理できるように。。。

言葉にするととてもいいですね。
多分なんですけど
私の言っていることや
この文章。。

愛着の問題に辿り着いているわずかな人にしか
何を言ってるかも伝わりにくいかもしれません。
私は文章書くのは苦手なので
感じるものや体感して来た悲しみについて話してるだけなので。。

それでも自分の心を整理するのには
『書く』ということがすごくいいみたいです。

いつも読んでくれて
いいねなど押してくれる方たち。。

ありがとうございます。

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