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愛着の種


生きづらさの根本には大体、幼少期の愛着の問題が大きいと考えてる私ですけど。

根本は親子間の愛着ですが。。
症状はひとつひとつ違うものだと思います。

例えるなら。。
心の畑に
愛着という種を蒔いていく。。。
その種に傷がついたら。。
育つお花はどんなお花??みたいなイメージです

愛着に傷がついていない種は
自分がどんな花を咲かせても素敵だろうなと
そのままの自分を愛すことができるけど。。


傷がついてしまった種は

傷を隠すために傲慢になるかもしれないし、
怒りっぽくなるかもしれない

傷を隠すために何かにのめり込むかもしれない

傷がある自分はお水をもらえないと怯え
世話をしてもらうため、気を引くためにあれこれ
尽くすことを考えるかもしれない

傷を見て見ぬ振りして、自分は素晴らしい種なんだと偽りの仮面を被るかもしれない。。


ひとりひとり、咲かせる花は違くても
生きづらさの根っこには
愛着の傷があるような気がします。。


傷がついた種をなかったことにはできないけど
その傷を癒しながら
自分らしい花が咲くといいですよね

生まれ変わるならどうなりたいか考えることはありますが
できれば愛されて育ちたいし
自分の愛情も受け取ってもらいたいし
傷つくことが少ない人生には憧れてますが

今の人生でであったひとや
仕事、好きな人、かけがえのない時間を考えると
また自分でいいなとも思います
愛着に傷を持った私でも。。。それでも良いなと。。。思います

こんなもんかな。。みたいな今の自分。

こんだけ傷付いても心がへそを曲げずに
人へ尽くしたり喜ぶ顔や笑顔を自分に向けてほしいと
頑張りすぎる。。人を好きになるレベルが深すぎて
依存気質になる自分もそのままの自分として
否定しなくていいかな。。
自分もまぁ素敵じゃないかな??と最近は思えるようになってきました

少しづつですけどね。

そばにいてくれる子どもたちや友人のおかげです


今日は2回目のカウンセリングの日。
自分を深める時間として大切にしたいなと思います


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