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優しい人たち、愛の距離・先祖をたどる旅〜葛藤を終わらせるために⑤

下の記事の続きです。

誰も祖母を悪く言う人はいなかった。

それは祖母に非がなかったからではなく、
私たち孫や母に対する優しさからだったように思う。

兵庫の父の実家に姉と2人で長く帰省したときに毎晩埼玉の自宅にいた祖母から「心配だから」と電話がかかってきたときには、
親類の中ではわりと気の短いほうだった父方の祖父が
「うちに預けて心配ってどういうことや」と電話が終わった後にキレていたのを見かけた。

自分のせいじゃないのに、祖父に申し訳なく思った。大人にそんなつもりはなくとも、少なくない小さな子どもは大人たちの不穏を自分の責にひきとろうとする。

それでも祖父を含めて父方の親類が
私たち孫に向かって、
母方の祖母や嫁である母を悪く言うことは一度もなかった。
それより、そこにいない祖母や母の美点をいつも、積極的に表現してくれた。

だから、私はずっと父方の人たちの愛を信じられたし、好きでいられた。
そしてその人たちの土地を愛するようになった。

母方の親戚たちが祖母の行いに異を唱えないのは、父方の人たちのそれとは少しニュアンスが違っていた。

親戚とはいえ、所詮同じ家庭内にいない。
家庭内で、家族にだけ特に自分の支配下にいる子どもに狂気をみせる人は少なくない。

単に知らなかったんだと思う。
もしくは似たような部分が自分たちにもあって違和感を感じなかったか、それは、わからない。

自分自身を補完するパートナーもなく、
血をわけた子は母だけ、
そしてその分身のような3人の女孫たち。

同世代ではインテリで旧家の出身、丁寧に挨拶して筆マメで読書が好きで、自分に逆らわない、表面的な付き合いの人間にはどこまでも親切にしようとする祖母の
影の部分を知り、心の弱さに傷つけられてきたのは、

私たちが生まれるまで、
あの南部の優しい人たちの中では、
母ただひとりきりだったのかもしれない。

いや、知ってる人もいたのかもしれない。
それでも、複雑な関係性から、何も手を出せなかったのかもしれない。
ただ、少し距離のある精一杯の愛を向けることしか。

日暮前に、色んな話をしてくれた母のいとこおばの家を辞去して、

予約してある八戸のホテルに車を走らせた。

初日から大きな心の鍵を預かって。

その道中だけは祖母や祖父の魂に、少しばかり恨み言をいったかもしれない。

それでも、何も知らなかった時とは、
スッキリ感は雲泥の差だった。






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