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JAGUARさん、JAGUAR星に帰還(絶賛JAGUARロス中)

ロック界の英雄JAGUARさん、故郷へ帰還

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ご存じの方も多いと思われるが、私が10代の頃から敬愛していたJAGUARさんが、地球での活動を終えて故郷のJAGUAR星へ帰還してしまったそうだ。

この "帰還報道" を目にして以降、私はJAGUARロスが続いている。これまでも様々なタレントの "ロス" を経験して来たが、ここまで強いショックを受けたのはhideちゃん以来じゃないだろうか。

湿っぽいのは本人が絶対に嫌うだろうから(それもあっての帰還発表だし)こんな事は言いたくないのだが、いやあ辛い。ぶっちゃけ辛すぎる。

本気で尊敬しているんだよJAGUARさん……。私はJAGUARさんを心の底から日本のロック史に残すべき英雄だと思っている。

近頃は月曜は夜ふかしの影響が大きいのか、半分笑い者として「千葉の英雄」なんて呼ばれる事が多かったようい思うのだが、あのひとは笑い抜きで本当に英雄なんだという事をご理解いただきたい。


JAGUARさんこそが "本当の意味で自由を勝ち取ったミュージシャン" である

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私がJAGUARさんを知ったのは小学校高学年の頃。当時テレ朝が18時台に流していたパオパオチャンネルという番組に、何故かJAGUARさんがレギュラーコーナーを持っていたのだ。

パオパオチャンネルとは、所ジョージや高田純次、若手時代のウッチャンナンチャンや、大竹まことにダチョウ倶楽部、新人アイドルの井森美幸や森口博子など、意外と豪華なメンバーが揃っていたローカル番組だ。
月曜から金曜まで帯で放送しており、バラエティパートの他に藤子不二雄アニメを流すアニメコーナーや、子供向けの音楽コーナーなどもあった。

そんなメンツの中に入ってJAGUARさんは明らかに浮いていたが、トゲトゲ衣装+妙に踵の高いブーツを履いたジャガーさんが「ハロー!ジャガーで~す!」と登場し、困っている人々を助けてまわるといったグダグダドラマがあまりにイビツ過ぎ、子供心に強く印象に残った。

その後も妙な場所での出会いが続き、袋とじ目当てで買っていたコンプティークに何故かJAGUARさんのコーナーがあったり、行く先々でチラチラ目に入る存在だったのである。

これは後に知った事だが、それ以前にチバテレでも長いことレギュラー番組を持っていたそうだ。こうしたJAGUARさんの積極的なメディア露出は、その殆どが "JAGUARマネー" によるものだった。

JAGUARさん曰く「最初はCM枠を買っていたけど金額が高くて短いから、より尺の長い番組の方を買った」との事で、番組枠自体を買って好き勝手に使っていたそうなのだ。

これはJAGUARさんの同級生であるみうらじゅん氏が「JAGUARは成り上がりではなく上がり成りだ」と表現していたが、JAGUARさんは音楽で成功してお金持ちになるなんて手法の逆を行ったのである。

JAGUARさんはまずビジネスで大成功して大金持ちになり、その後で自分の金でやりたい事を全て実現させるという、金持ちの道楽としてロック活動を続けていたのだ。

自分でライブハウスやスタジオを運営し、美容室や看板屋など活動に必要と思われる業種を全て自前で用意し、TVラジオ雑誌など各種メディアの枠をポケットマネーで買い、何だったら東京ドームライブのワンマンライブだってやってのけた。

「東京ドームでのワンマンライブ」といってもアメフトのハーフタイムショーなのだが、おそらくこれも枠を買ってしまったのではないだろうか。
ただ、アメフトのハーフタイムショーでライブをやるというのは、海外の大物アーティストもやっている事で、スーパーボウルなどはストーンズやジャネットジャクソンやビヨンセなど、超大物達が出演している。
そう考えると、JAGUARさんはJAGUARマネーの力でミック・ジャガーに並んだと言えよう。

少々バカにするような物言いになってしまったが、私は心の底からこれこそが本当の意味での自由だと思うし、こんなやり方をしたミュージシャンは日本では後にも先にもJAGUARさんしか居ないのではなかろうか。

どれだけ才能に優れたミュージシャンでも、音楽で金を作ろうと思ったら、自分を殺して才能を切り売りするような活動をしなければならない。
具体例を出すと、小室哲哉などは時代を作った天才・鬼才のひとりだと思っているが、彼も結局は「音楽と金」というドロドロの中で道を踏み外した。

ところが、JAGUARさんは音楽で金を作る必要がないのである。その点でセールス記録は確かに凄いだろうけれども、音楽で金を作らねばならない小室哲哉よりも、よっぽど身も心も自由でいられるし、金で人の道を踏み外す事もない。

であるならば、音楽事務所やメディアに飼われる必要などこれっぽっちもないし、むしろメディアに関してはJAGUARマネーで枠ごと買っているので、言ってみればJAGUARさんの方が上位なのだ。

こんなにも自由を極めたロックスターを私は他に知らない。

JAGUARさんは日本ロック界の父(母?)である

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JAGUARさんの何が凄いかを語る上で、本人の活動内容だけを切り取っていても偉大さが理解できないと思う。

そこで、次に私の実体験を軸にして、当時のバンド業界がいかなるものだったか。そしてJAGUARさんはそれにどう関わってくるのかを解説する。

私は10代の頃に盗んだバイクで走り出して校舎の窓ガラスを割って回りたいお年頃になってしまい、短期間ではあるが家出なるものをしてみた事があった。そして何故か流れ流れて群馬県に知り合いを作って住まわせて貰ったり、何の部品を作ってるかよく分からない工場で、日がな一日ラインに流れてくる部品にバシュンバシュンとよく分からないパーツを打ち込む仕事をしたりしていた。私と同じラインにはビザを持っているかどうかも怪しいパキスタン人やバングラデシュ人が溢れ返っており、日本人の方がレアキャラだった。

そんな時に群馬で知り合った兄さんに誘われてバンド活動のお手伝いを始めた(ローディのさらに見習いみたいな)のだが、それがキッカケで東京に戻ってもあちこちのライブハウスを覗いて回るようになった。
そうこうしている内に、似たような世代の盗んだバイクで走り出しちゃいたい子達が周囲に集まって来て、自然とつるむようになっていった。

私が出入りしていたこの頃のバンド業界というと、お化粧系・お耽美系・美学系(呼び方は何でもいいがビジュアル系なんて単語は無かった)の全盛期。音楽ジャンルが何であれ、とりあえずお化粧しておかないと「出演させて貰えるライブハウスがない」「対バンしてくれる相手が見付からない」なんて状況になり兼ねない、そんな偏った時代だった。

経験者ならばご理解が早いかと思うが、今で言うビジュアル系バンドマンのプライベートの姿はとても "こ汚い" 。

まず何より中途半端に伸ばした髪の毛が問題だ。常に髪の毛を立てておく訳にもいかないので、無茶な毛染めや色抜きでバッサバサになった髪の毛をプライベート仕様でどうにかしなければならないのだが、この時点でハードモードである。
そのままロン毛の兄ちゃんとして生活できるのはごく一部の本当のイケメンだけで、大体は自宅でピース缶で手作り爆弾を作っていそうなビジュアルになる。今でもアキバでよく見かけるが、いわば歩く通報事案である。

髪の毛自体をどうにか収まりの良い形に出来たとしても、次に「それに合う洋服ってなんだよ」という話が待ち構えている。通常ではあり得ない妙な髪の毛をしていると、普通の服が全く似合わないのだ。
それに、バンドマンの嗜みとして革のピチピチのパンツを履けないといけないので(絶対条件)、身体はガリガリに痩せ細っていないといけない(国民の義務)。

髪の毛は汚くバサバサ、そして身体はガリガリ。こんな容姿をした生き物なんてフリークス以外の何者でもないだろう。
よって、必然的に「お前そんな服をどこで買った?」と言いたくなるようなコーディネートにならざるを得ないのだ。

今はそれ用の服も増えているだろうが、なんせ私が語っているのは30年も前の話であり、当時は「ビジュアルバンドマンがプライベートで着るべき洋服」なんて確立されていなかった。
たまに音楽雑誌のインタビュー記事に人気バンドマンの私服姿が載っている事があったけれども、どれだけ容姿に優れていても、金を持っていても、服のセンスが壊滅的な人が意外と多かった。

具体例を出して申し訳ないけれど、バクチクの魔王ことあっちゃんの私服センスの酷さを見て見ぬ振りをした事は一度や二度じゃない。
ただ、それもあっちゃんに美的センスがないという事ではなく、おそらく「何を着ていいか分からなかった」のだと思う。
あの美形の代名詞であるあっちゃんですらハマる服が中々ない時代に、末端の金のないバンドマンが良いコーディネートを思い付ける訳ないだろう。

長くなったが、当時のバンドマンなんてそんな怪しい見た目の人間が多く、また当時はまだバンドマンへの偏見が強かったため、音楽活動で食えずアルバイトをしたくても、面接にすら辿り着けない場合が多かった。

私の友人は、コンビニの夜勤バイトを狙ったものの、最初の店には履歴書すら受け取って貰えず、やっと履歴書を読んでくれる店に出会えても面接で落ち続け、最終的に工事現場で日々鉄骨を担ぐ事になり、気付いたらビジュアル系というよりWWE所属のロン毛のプロレスラーのような肉体になっていた(バンドとして全く芽が出ず終わったのは言うまでもない)。

当時のバンドマンは多かれ少なかれこのように「夢を追うために安定収入を得る」事に苦心していたのだ。

「JAGUARさんは自身が経営するグループ店で若いバンドマンを働かせてあげていた」という話があちこちに書かれているが、その話の意味を理解するには、上のような当時の空気感を知っておいて欲しい。
見た目だけで社会に居場所がないバンドマン達を受け入れ、安定収入を得られるようにしてくれるというのが、どれだけ大きな救いになった事か。

JAGUARさんがやってくれていた事は、大げさではなく若いバンドマンにとっての命綱、セーフティネットそのものだったのだ。
だからこそ、後にX JAPAN、GLAY、氣志團といったビッグネームになる若者達が、食えない時代にJAGUARさんを頼って集まっていたのだ。

JAGUARさんはずっと「面倒なんて見てないよ。みんな自然に集まって来てただけ」なんて言っていたが、最も食えない時期に安定して仕事をさせてくれていたというだけで、一生モノの恩義を感じるはず。

綾小路翔は「千葉のロックを志す人間はなにかしらジャガーさんにお世話になってるということがあった」と言っていた(※ 月曜から夜ふかし)が、それは全くウソではない。JAGUARさん自身は "商業ミュージシャンとしては" 無名だったが、彼ほど日本のロックシーンに影響を与えた人間はそうそういないと思う。

しかも、JAGUARさんの場合は音楽で影響を与えたのではなく、「食えるようにしてやってた」「音楽活動を続けられる状況を作ってやってた」という意味での影響なのだ。そんなひとが2人といるかよって話である。

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