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「全ての性自認を尊重する」と宣言した目黒区議会があまりに危なっかし過ぎる件

目黒区議会でとある陳情が可決

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目黒区議会の9月定例会にて、「すべての人の性的指向と性自認(SOGI)が尊重されるパートナーシップ制度導入に関する陳情」とやらが賛成多数で可決されたそうな。

これを共産党系の区議が報告し……

同じく共産党の参議院議員がめでたい事として拡散していた。

一見いかにも今の時代っぽい "前進" かのように思えるかもしれないが、私はこれについて非常に危険だなと感じてしまった。

というのも、私はLGBT問題に関しては友人・知人にややこしい連中が多いため、昔から最低限の勉強はして来たと自負しているのだが、"性的指向" はともかくとして "性自認" にはリスクが伴う。その単語を迂闊に使うと、後々とても厄介な事になるように思えて仕方がないのだ。

拡大解釈が過ぎるとか、重箱の隅を突きたいだけだといった非難を受けるのは承知の上で、今回はなるべく手短に「なんで "全ての性自認" という一文がマズイのか」について解説してみようと思う。

……その前に予め言っておくが、私は 「全ての性自認を尊重する事自体が悪い」と言いたい訳ではない。そこだけは捻じ曲げて読まないようお願い申し上げる。

あくまで "この件に関してだけ" は、上で紹介した共産党系の政治家の口ぶりから、「非常に危険である」と感じてしまったのだ。

性的指向・性自認の意味を考えよう

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まず、言葉の意味を正しく理解するところから始めたい。

『性的指向』とは、その人が持つ恋愛感情や性愛がどのような対象へ向かうのかということ。以前は異性愛・同性愛・両性愛の3つに分けて語られる事が多かったが、今はより細分化され、どんな属性も性愛の対象としない無性愛や、トランスなども含めありとあらゆる属性・性別を性愛の対象とする全性愛といった性的指向もある。

『性自認』とは、自分自身が、自分自身の性について、どのように認識しているか(自認しているか)という意味。性的指向は他者が介在する、言ってみれば人間関係を示す言葉であると言えるのに対し、性自認はその言葉の通り「当人がどう思っているか」がすべてだと言える。

性自認という言葉に潜む危険

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意味が分かったところで具体的に考えて行こう。

性自認とは、上で説明したように「あくまでその当人がどう思っているか」という話に過ぎない。よって、言葉は悪いが「言ったもん勝ち」になってしまうのだ。

股間に立派なイチモツが生えていて、それを使って日常的に女性を相手に性行為をしている人物がいたとして、仮にそのひとが「アタシは女です」と言い張ったら、それを尊重せねばならないのである。そのひとの自己申告では性自認が女なのだから、まず女性として尊重せねばならない。

さらに、女性を相手にイチモツを使って性行為をしている事についても、「私は同性愛者だ」と言い張られたらそれでおしまいである。

そのひとは「性自認が女性で、性的指向が同性愛者なのだ」と納得しなければいけないという事になる。

では、そんな人間が女湯に入って来たら、世間のノーマル属性の女性達はどうすればいいのか。そこで悲鳴を挙げたり、店にクレームを入れたりしたら、差別主義者とされてしまうのだろうか。

実は、この問題についてはすでに外国で何件も事件が起きている。

有名な話では、「私の性自認は女なのだから、女性刑務所に入れろ」とゴネた囚人(どう見てもイカツイオッサン)を女性刑務所に入れたところ、刑務所内で女囚をレイプしまくったという事件があった。

この人物はいわゆる "未工事" の状態で、過去に小学生女児から大人まで何人もの女性を犯しまくった前科持ちである。それがちょっと言い張っただけで "女性として尊重" され、結果として何人も女囚がレイプされる結果となった。

日本よりも "人権教育が進んでいる" とされる外国で、すでにこの手の事件がいくつも起きているのだから、後に続く日本が慎重になるというのは何ら不思議ではないように思う。

"性自認" という言葉に振り回されると、何かあった場合に必ず犠牲者が出てしまうというリスクがあるのだ。この点だけは決して軽く考えてはならない。

果たして自民党はクソミソに言われるような事をしでかしたのだろうか?

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では次に、今回の定例会での採決に加わらなかったという自民党について調べてみよう。彼らは果たしてどのような主張・思考で、こうした陳情に対して消極的なのだろうか。

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