【ほぼ日妄言】《余裕がないときの戦い方は、無い(のかもしれない)》

タスクの消化が困難になるとき、

やらなくてはいけないことに自覚的でありながら

しかし、全くやる気が出ないとき。

今の僕だ。

卒業制作のフルカラー漫画のページ数が80を超える見込みであるにもかかわらず、未だ絵コンテ。

1月中旬には印刷所に入稿しなければ卒制講評会には間に合わない。

卒業制作期間、あと2ヶ月弱点。()

他にもまぁタスクを私的に抱えていて、しかしまぁタスクの数は問題ではない。
問題なのはタスク処理の複雑さだ。

僕のデスクトップにはタスクが優先度順で貼り出されている。
基本的に考慮されるのは、〆切日と作業量。
〆切日が近いか遠いか、作業量が軽いか遠いかが問題となる。

で、卒業制作がヤバイ。

デッドラインが日に日に近づいてきている。
しかし複雑な作業工程に僕の思考は停止する。

こういう思考停止を避けるためにプロット・脚本を丁寧に練ったりコンセプトアートを豊かにしたはずなのだけれど、結局絵コンテにする段階で脚本のボロが出まくるのだ。

デザイン思考的に言えば、停滞した段階での問題を考慮し、如何なる手立てを展開するかを思考すればいい。
絵コンテで止まっているのが脚本なわけだから、プロットに遡りその場面の表現目標を明確に捉え、前後のシーンのコンテクストを考慮し、場面の再構築をすればいい。

分かっていても、停滞してしまうのだ。
最悪なのは表現目標が分かっていても表現手法に確信が持てない時だ。正直、寝かせるしかない。 

釈然としない僕の脳ミソは停滞したまま、次の思考に切り替えられなかったりする。

するとリアルに寝る。寝てしまうのだ。

グループワークなら第三者的視点に自分を投げあい、持ちつ持たれつ思考作業できる。
だが1人作業の漫画制作は、その複雑な構成を壮大な想像力を持ってして紐解いていかなくてはいけない。

あぁ、宮崎駿の脳ミソが欲しい。。
多人数制作が絶対であるアニメ映画で、全体に渡って監督色がでる作家は宮崎駿くらいだという。ほんとか?って気がするのでちゃんと勉強する。

ナウシカの後継としての期待を背負いアニメージュにて大体的に連載された押井守×今敏の『セラフィム』は完結を迎えることができなかった。

僕はどちらかというと後者両名を敬愛してるのだけれど、同じく釈然としない結末を迎えてしまうというのか。

あぁなんて戯言。なんて妄言。

論理性を喪失した僕は散歩に出掛け、
ミニストップでショートケーキ風明治エッセルスーパーカップを食らうのだ。

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