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『あなたの事が気になっています。』第9回「非日常に肩まで浸かりに行く人」

銭湯が好きで割と行きます。

しかし流行りの”整う”感覚はマジでわかってません。サウナ⇄水風呂3往復も温冷交互浴もネットでやり方を読んで試しましたが、クラクラ目眩がして「危ねっ」と思ったのでやめて、

ただただ熱いお風呂に入り、たくさんのぼせて汗かいて、ぽ〜っとなって帰ります。頭痛するくらい入ります。

「あの整う感覚を味わってないなんて人生半分損してるよ」と仮に誰かに言われるのならその人には「人生を損得で考える、その考え方がまず損してるよ」とインチキ仙人みたいな返しをしたいです。



さておき、では整いもしないのに、なんで私は好き好んで銭湯行くんだろう?と改めて考えてみたんですが、理由としては「お手軽な旅情感を得る為」なのかなあとぼんやり思います。旅には行けないけれど少しでも温泉行ってる感じを味わいたい、という想いです。



あくまで私個人の考えですが、あるあるとしての「旅先の温泉は気持ちいい」のには多分に「なんと今っ!私は日常を投げ捨て!旅に来て!ゆっくりと湯に浸かっている!!!」という自意識で点数が上乗せ補正されている、と感じてまして、

天然温泉が肌に染み渡るのも”そんな気がする”ですし、日頃の疲れが癒えるような”気がする”、生き返ったような”気がする”んだと思っています。

温泉の泉質とか効能なども色々聞いたりしますが、正直、最初から最後まで目を瞑って入れと言わたら何にもわからない自信が私にはあります。普段、水道水とミネラルウォーターを人体一デリケートな口内に入れてもイマイチわからないのに、ガサガサ肘やカチカチ踵を筆頭とする私の肌で水の違いなど感じ取れていようはずがありません。

しかしながら“気“は大切だったりもして、やっぱり遠出しての旅のお風呂は断然魅力的で「天然温泉」「源泉掛け流し」とかと聞くだけで自動的にテンションは上がってしまいますし、そこで得られる”気”を求めて、つい新幹線に乗り込んでしまうのも人の性なんだろうと思います。




銭湯の話に戻りますが、銭湯に行くことでお手軽な旅情感、旅ほどではないものの小さな非日常感が得られているのだろうと思います。

単純にいつもより風呂が大きいとかもありますし、知らない人たちと一緒に入るとか、そもそもわざわざ外に入りに出かけるとか、そういう普段とは違う行程の1つ1つこそが重要なんではないかと。そこに気づくと、銭湯をより楽しむコツは「非日常」「特別感」の自己演出次第なんじゃないか?と思い、

そこからの私はより銭湯を楽しむ為に、自分で出来る範囲で非日常の演出を行ってから銭湯に出かけるようになりました。日常を非日常みたく過ごしたい人の誕生です。




1番最初に行った非日常演出は、この真理に気付いたきっかけとも言える、ある冬の日の朝、窓を開けたら雪が降っていた時にふと「少し遠いけど露天のある銭湯に行ってみたらどうだろう」と何とは無しに思ったのが最初です。

「いやいや、たぶん臨時休業だよな〜」と長靴で地面をザクザク言わせながら半信半疑で向かうと、意外にもお店は普通にやっていて、しかも雪のせいか全然混んでおらず貸切感まであり、すごく得した感じがありました。


そして、いざ入ってみると雪が降ってるのに、寒いのに、空の下なのに裸でウロウロしている事に、いつか見た『世界ふしぎ発見!』でサウナ後に湖に飛び込んじゃうフィンランドの人達みたいな、

または文学的に言うと「トンネルを抜けるとそこは雪国、しかも裸!YEAH 川端 YEAH〜!」みたいな、

「なんと今っ!私は雪降ってるのに!わざわざ歩いて来て!ゆっくりと湯に浸かっている!!!」という意味のわからない興奮がありました。

よくよく考えれば、どうせ風呂から上がっても帰り道で冷えて汚れてまた家の風呂に入るんだし、どうせまた濡れるのに一応上がってからタオルで身体を拭いていたりと無駄な行為なんですが、その無駄さが逆に贅沢に感じてすごくよかったのを覚えています。なんか妙な特別感、背徳感がありました。




それ以来、銭湯に行くタイミングはもっぱら雨の日、もっといいのは大雨の日、欲を言えば雪、なんならヒョウ、さもなくば氷点下の朝の霧など悪天候狙いで露天付きの銭湯に狙って行くようになりました。整ってる整ってないで言えば「全くコンディションが整ってない入浴」を求めるようになりました。




更には、もっと出来る非日常はなんだろう?と考え、天候以外の演出も始めました。

帰り道の途中にある和食屋さんにフラリと寄ってみたり、バリバリ地元なのに普段しないグラサンしてみたり、思ってないのに「この辺は空気が違うなあ」と口に出してみたり、まずは旅を模して色々やりました。



しかしそういうワザとらしい演出は2回3回とやってると必ず飽きてしまい、自ずとより過激なものを求めるようになりました。

まあまあ遠いのにキックボードで行ったり、やったこともないボートレースに結構な額を1点賭けしてから出かけたり、親に「産んでくれてありがとう」と一方的にメールしてから風呂に入ったり、

この辺に至っては手段と目的の関連付けが迷子で、ただの虚無主義者な感じです。風呂と非日常の演出バランスが難しい事に気がつきました。




で、なんやかんやあって今ここ↓なんですが、
そこの銭湯に行きすぎて店長と仲良くなり、話の流れで休日のゴルフに一緒についていって半日ラウンドし、銭湯の店長と銭湯の風呂ではないゴルフ場の風呂に入るという非日常の向こう側にいます。これに至ってはもはや2周しててよくわかりません。




そして次ここ↓なんですが、
そのお気に入りの銭湯の店員に欠員が出たと聞き、いよいよ週1そこの店員として働き出しています。その仕事終わりに自ら畳んだタオルを借り、さっきタワシで磨いたお風呂に入るという、非日常を求めた結果の非日常の向こう側、3周して逆に生活感が戻って来ました。




そして職場は大変気に入っています。なんだか整ってる皆さんの2歩先、歩かさしてもらってます。すんませんです。




来るところまで来た「非日常」。もうこれ以上、ここから先はどうしたらいいんだろう?と、営業終了後の湯に肩まで浸かってのぼせるまで考えてるんですが、答えはますます湯気に曇って見つけられていません。

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※この文章は2010年3月号〜11月号に掲載用に
自主的に書いたものに大幅に加筆修正したものです。



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