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君が思い出になる前に

1月下旬、スピッツの「君が思い出になる前に」が頭の中でよく流れていた。
自分の中で、一つのお別れの準備をしていた時期だった。

実をいうと妊娠していた私は、12月に引き続いて、1月中だけで産婦人科に5回行っている。
1回目の健診は、年末年始の休診日明けで、待ちきれない健診だった。初めて胎児の姿が見え、心拍を確認できた日。「胎児の成長がちょっと遅いので、来週もまた来てください」と言われたが、心拍確認ができたことが嬉しく、上機嫌で帰った。とはいえ、年内よりも体調がよく、うっすらと不安になることもあり、そしてそれを気のせいと思うのに必死だった。
祈るような2回目の健診では、胎児はまったく成長していなく、心拍も確認できなくなっていた。何とか会計を済ませると、小雨の夜を泣きながら帰った。先生には「五分五分、先週は心拍が見えていたので、来週ちゃんとまた診てみましょう」と言われたけど、あぁもうダメだ、と思った。
3回目の健診で、やはり胎児に変化はなく、流産が確定した。2回目の健診ですっかり悲しんでいた分、衝撃は少なかった。手術日を決め、予約して帰った。
その次の日、早朝から腹痛と腰痛に見舞われていたところ、大量出血とともに赤ちゃんが出てきた。朝一で通院し、診察してもらったうえで、その後の過ごし方についてお話を聞いた。日本中が、寒波、と騒いでいた寒い日のことで、空が青くきれいだったのを覚えている。
その1週間後、5回目の通院では、子宮の経過観察をしてもらい、空っぽになったエコーを確認して、特に問題ありませんね、と言われた。
1か月でこんなに体が変化し、感情が揺さぶられることはこれまでに経験したことがなかったな、と思う。

つまるところ、私は妊娠初期の流産を経験した。
あれこれ調べる中で、流産は妊娠の10~20%の頻度で起こること、早期流産の最も多い原因は、赤ちゃんの染色体などの異常であることを知った。
(参考:https://www.mochida.co.jp/ashitanomama/ryuzan/index.html
また、流産のほかにも、不妊に悩んでいる方や、死産を経験した方のブログをちらほら読んだ。
そうして、人に話し、本を読み、趣味をして過ごし、仕事をし、何でも食べられる嬉しさと切なさを感じて、2月に入るころには、すっかり日常へ戻っていった。

考えたこと①:悲しむ権利を感じることが難しい

流産、と聞くとどんなイメージがあるだろう。
私は、おそらく学生のときからこのワードは知っていたが、なんとなく、すごくショックで大きな出来事だと思っていた。
実際に流産してみると、流産確定前から生きた心地がしなく、涙があふれることもあった。
頭の中であれこれ整理しながらひとつひとつの出来事を乗り越えたいタイプの私は、「流産 ブログ」「グリーフケア」などと調べながら、日々を過ごしていた。

その中で感じたのは、流産とは何だか中途半端な出来事だ、ということ。
葬儀屋さんのサイトで、故人との別れについての記事を見たが、私の場合、「故人が大切にしていた形見」もなければ、「故人との思い出」というのもぴんとこない。
せいぜい5mm程度だった私の胎児は、エコー写真でみてもぼんやりした楕円でしかなく、まだ胎動も感じられなければ、子の個性というのもない。
かといって、たとえば親知らずを抜いた時の喪失感と、心拍を確認できた生命がいなくなってしまったことの悲しみは、やっぱり比べ物にならない。
胎児もれっきとした生命であり、流産もまた、立派な訃報なんだと思う。

また、流産・死産された方のブログを見ていくと、その中にある種の序列を感じてしまうこともあった。
まだ27歳、不妊に悩んでいたわけでもない、健康診断もいつもAばかりという私の身に起こった偶発的な流産。
体外受精の末やっと妊娠できた、年齢もかなり上のあの人の流産。
もうすっかり臨月を迎えていたのに、原因不明でお腹の中で子が急死してしまった、あの人の死産。
既に2人の子に恵まれたうえで、その後2度立て続けに経験した、あの人の流産。
流産したけど、その悲しみや痛みを乗り越えることに夫婦間で溝があり、夫が飲みに出かけてしまう、あの人の流産。
いろいろな背景を知ると、この人に比べたら幸せだなぁ、こんなに悲しむのは大げさなのかな、でも初めての妊娠で流産なんてやっぱりちょっとそりゃあきついよなぁ、と、だんだん自分の悲しみの深さが分からなくなっていく。

「10人に1人以上の割合で起こることなんだから、そんなにくよくよしても仕方ないよ」と、もし言われていたら、どうだっただろう。
「あなたはまだ若いから次があるよ」と言われていたらどうだっただろう。

そうだね、悲しむ権利なんてないね、と思ってしまっていたんじゃないかな、と思う。
自分の悲しむ権利を自覚して、堂々といることは、案外難しい。

だから、そんな中でも、お休みをくれた職場の方々、できる最大限のことをしてくれた夫、話を聞いてくれた家族、体調回復後に一緒に遊んでくれた人たちに感謝したい。
周りの人に「お大事に」「ゆっくり休んで」と言われなければ、きちんと悲しむことはできなかったと思うから。

考えたこと②:有休を付与してくれ

感情が少し落ち着いてくると、日本に物申したくなっていて、「流産時の有休付与を義務にしてほしい」と思ったりした(笑)。

日本では、妊娠85日以上の出産に関しては、それが死産であっても、産休が出る。
私の場合、妊娠70日程度で流産だったし、実際、妊娠84日までで流産になる人も多い。が、これというお休みはない。

ちなみに、流産になるとどんな処理が待っているかというと、病院の考え方や週数にもよるだろうが、「自然排出」か「手術」かの方法で胎児を外に出す。
自然排出の場合、腹痛が起き、大量出血するので、仕事中に起こったらどうしよう…とスケジュールが立てにくい。ただ、人工的に出す作業に比べると、気持ち的には流産を乗り越えやすいともいわれている。私も、麻酔や手術という病院の処置が怖かったのと、人前で泣いてしまったらどうしようというプライドから、気持ち的にはこちらを望んでいた。
手術の場合、さらに病院により「掻爬」「吸引」など方法が分かれる。麻酔をするので痛みは自然排出よりは少ない場合が多いが、費用がかかるのと、心理的に抵抗感がある場合がある。仕方ないことだが、妊娠中絶のときの行うのと同じ手術なので、なんか切ない。

いずれの方法にせよ、母体にはそれなりに負荷がかかる。
実際に自然排出した私も、何だか小さなお産のようで、2時間半苦しんだ。
(でも、不思議と、その苦しみを感じられたことの喜びもあり、私はこの日を第一子の誕生日兼命日だと思っている)
その後は、子宮が元のサイズに戻るまで、数日間子宮収縮の痛みが出る。

心理的な悲しみと、このような身体的なダメージがある中で、おそらく1日も休まず仕事をこなすのは困難だと思う。
現に、私は、流産かもと言われた健診の次の日、仕事の移動中に電車の中で泣いてしまって、急遽早退したことがあった。
悲しみと付き合いながら働かないといけない期間は案外長いし、現実を受け止めたころには身体的なダメージも食らう(人によって悲しみのピークのタイミングは違うと思うが)。
子どもを安心して妊娠し、育てていける社会になるために、ある程度の割合で起こる流産に関しても、金銭的な不安なくカバーしてもらえる世の中であってほしいな、と思う。

身近な人が流産してしまったときは

なんて声をかけていいか、正直わからない人がいるのではないでしょうか。
参考までに、私の体験談や意見を綴ります。(ここから敬語になります(笑))

ご家族が流産された方へ

私の場合、年末年始にはつわりがあり、実家の家族へ妊娠を伝えていたので、流産のことも伝えないといけない状況でした。
関係性が近く、大切な人だからこそ、「くよくよしてないで」とか、「あなたがあのとき○○してたせいなんじゃないの」なんて言われたら、縁を切ってしまいそうで、特に夫婦双方の親への伝え方については、さんざん悩みました(笑)。
そんな中で私たち夫婦が選んだのは、手紙や伝言などで、まずは間接的に伝える、ということ。
間に口をはさまれて直接傷ついてしまうことのないように、私たちにとって流産とは何だったのか、どういう声掛けはやめてほしいのか、手紙に書いて送ったり、姉へ伝言を頼んだりしました。
結果的に、この伝え方でよかったな、と思っています。

このnoteを読んでいくださっているあなたのご家族が流産された場合、まず、相手がその流産をどうとらえているか、ということを大切にしてほしいなと思います。まずはじっくり聞いてあげてほしいし、話したがらないときは無理に話させないであげてほしいと思います。
仮にご家族の中にに流産経験者がいたとしても、その人の経験と、当人の経験はまた違うものだと思います。
また、私のような伝え方をした人がもしいたとしたら、「大事な話なんだから直接話しなさい」と思わず、その意図を理解してほしいなと思います。

お友達や同僚が流産された方へ

参考までに、私がかけてもらって一番うれしかった言葉を紹介します。
妊娠を伝えていた歯医者さんへ、流産を伝えたときの、「そっか~~~、そっか~~、そっか。」です。
そのほか、「つらかったね」「大変だね」とか。
もうそれで十分でした。
流産して間もない方へは、いたわりの意味も込めて、「お大事に」というのもいいかなと思います。

あとは、私は流産をタブーなものだと思っていなく、テンション次第では、排出のときにいかに痛かったかとか、つわりの前後でいかに食べているものが変わったかとか、そういう話を、面白おかしく聞いてほしいことがあります。
ある人のブログで、「離婚の可能性があるから結婚を報告しない人って聞いたことがないけど、流産しちゃうかもしれないから妊娠は安定期まで言わない、という人は多い。流産ももっとオープンでいいなと思った」という趣旨の話があり、これはすごく共感しています。
私のように、流産したとしても、妊娠そのものは充分喜ばしいものとしてとらえたい、と思う人もいるかもしれません。
一方で、他人にとやかく言われたくないから夫婦の間で大切に二人だけの話にしたいなと思っている人、やっぱり悲しいから普段はその話題を避けてほしい人、など、本当に流産の色合いは人それぞれだと思います。
相手がどのスタンスに立つかによるのかな、と思います。

流産を経験したあなたへ

流産は、それなりに高い確率で起こりますが、その背景、気持ちは、十人十色だと思います。
あなたはあなたのペースで、悲しみ、怒り、喜び、少しずつ元気になっていけばいいんだと、流産直後の私へのメッセージも兼ねて思います。

一人の流産経験者から、あなたに、「お大事に」の言葉を送りたいと思います。

(もし私の実の知り合いの方でこれを読んでいる方がいたら、お気軽に連絡ください。お話聞くくらいならできると思います。)

最後に:私の第一子へ

産まれもしないわが子に翻弄され、泣き、不安になり、怒りの感情が沸いたこともあったけど
たくさんの人に支えられていることを実感させてくれたこと、
実家の両親に自分の価値観をまじめに伝えるいい機会になったこと、
様々な家族の悩みを抱えている人がいることを知れたこと、
本当にいい経験になりました。
ありがとう。
出不精な私があなたと暮らした思い出の場所があるとしたら、確実にこのマンションの一室だなぁと思うのですが、もうすぐあなたの父母はこの部屋を出て引っ越してしまいます。
引っ越しの瞬間まで、思い出をかみしめて過ごしていきます。
「君が思い出になる前に」の歌のように、この出来事が過去になっていく前に、最後にエコーで姿を見せてくれて、翌朝には直接出てきて私に痛みを経験させてくれたこと、嬉しかったです。
産んであげられなくてごめんねなんて、言いません。あなたも充分生きたし、私も充分育てたと思う。これが私たちの過ごし方だったんだと信じています。
ありがとう!


以上、非常にヘビーな記事になりましたが
読んでくれた方、ありがとうございます。
誰かの救いやちょっとした学びになることを淡く期待していますが、
一方で、繊細な話題なので、誰かを傷つけていたらごめんなさい。

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