障害者ってたくさんいるんだろうな、っていう話
転職して、障害者支援の仕事についた。
よく、妊娠すると、それまでより街で妊婦さんを見かけることが増えたような気がするなどというが、
同じように、この職に就いてから、街に障害者が多くいるような気がする。
さて、障害者と聞いてどんなことをイメージするだろう。
ほぼ寝たきりのような人を想像する人もいれば、パラリンピアンや障害のある医者・弁護士など、有名人を思い浮かべる人もいるだろう。
ただ、私が仕事をしていて思うのは、もっともっと街中に、障害者というものは溢れているということだ。めっちゃ能力が低いわけでも、スーパーマンでもないような障害者という存在が。
障害者の中には、一見健常者に見える人も多い。
抱える困り感としては、たとえば朝がどうしても苦手とか、口頭指示が理解できない、抱え込んでしまってなかなか発信ができない、欲望のままに買い物をしてしまって借金に追われてしまう、目に入ったものにすぐ気が散ってしまって集中できない、幻聴や幻覚がある、じっとしていられずよく立ち上がってはふらふらしてしまう、などなど。
何日も一緒に過ごすと、その困り感も見えてくるが、数十分一緒にいるだけだといわゆる普通の人にしか見えない人も多い。
そんな障害者さんたちの話を聞いていると、昨日映画館で映画を見たとか、メルカリで物を売ったとか、オンラインでゲームしたとか、月見バーガーを食べたとか期間限定のスイーツを買ったとか、それぞれ少ないお金の中で楽しみを見つけて過ごされている。
その様子を聞くと、映画館やお店、SNSなどの至る所で、わざわざ障害者とは名乗らない障害者さんたちが実はたくさんいるのだろうと思う。
最近私は、行き帰りの電車や駅でも、この空間に障害者って何人いるんだろうと思うようになった。明らかに白杖をついている人や独り言が止まらない人もいるが、私の目に見えないところで、障害者というのはいるんだろう。また、中には、自分が抱えている困り感が障害に該当するものと思わず、自分を責めながらその不便さに向き合っている人もいるだろうな、と思う。
かくいう私も、常に心身共に健康なほうではあるが、それでも、顔には出せないけど生理痛がひどい日とか、疲れが溜まってイライラしている日とか、お気に入りのものが壊れて沈んでいる日とか、いろいろある。
すぐそばにたまたまいる知らない人が、障害者や何か困っている人でもいいように、常に、想像力を持てたらいいな、と思う。特別手を差し伸べるわけではなくても、傷つきやすいかもしれない近くの人を、傷つけない存在であれたらいいなと思う。
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