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ほんとの嘘のホントの話。ほんとの「ほん」は「本」のほん。

ユッシ・エーズラ・オールスン「特捜部Qシリーズ」の新作案内が来た。前作でアサドの秘密に触れたんだれど、今回はカールの事件にも触れるんだろうか。
しかし、家にいてもお金を使えるようになったのはどのくらい前からだろう。出かけなくっても、なんだかんだお知らせメールが来て「あーこれもいいね。」「そうそう、忘れてた。」「うーーー新作出たんだ。」
クリックすると「トムとジェリー」のアニメの中で、トムの目がドルマークになりながらチーンって音がするアニメのシーンが目に浮かぶ。本とかはいいけど、Hマークのお店からくるメールなんて、めくるめく誘惑の嵐で、私レベルだとクリックひとつで買える金額じゃなくない?とか思いながチロッと眺めてしまう。ヨガのレギンスに127.600円も出せるかっ!出せる人いるんだろうなあ。いや、もし出せたとしても買わない。いや、そんなこと考えるまでもない人が・・・。
えーい、考える必要なし。時間の無駄。ヨガなんかしてないじゃん!
資本主義の悪魔め。

基本的に私はノンフィクション作品でもフィクションだと思っている。起こったであろう事象があったとする。でも、その瞬間はその瞬間だけのもので、記録が残っていたとしても、まずその記録を書いた人がいて、ましてや後でその記録や資料をかき集めて、また1人(もしくはグループで)書き手が介在して本に仕上げたとしたら、もはやそれは途中で参加した人間の数だけのホントが増えて、真実だったかもしれないものの隙間に入り込む。それに、物事が起こった時の本人たちだって、確実な記憶や記録なんて難しいと思う。
だから、日本史とか世界史の授業は嫌いだった。だって、先生が教科書に書かれている事を「絶対のゼ」みたいにお話になるものだから、おかしくてしょうがなかった。見てきたかのようにとはこの事だ。今思えば、先生もそうするしかなかったんだねとは思うけど、あの頃の人をくった私には無理だった。年表とか昔の人の似顔絵とか、全然信用してなくて、テストのために覚えはしたけど、覚えた側からすぐ忘れてた。そんな昔の事言われても、見た人も聞いた人ももうこの世にはいないんだもの。そのうちフィクションとしてなら楽しめる事に気付いた。そうしたら途端に好きになった。恐竜も信長も。存在したとは思ってるよ。特に恐竜は。

お気に入りのクッキーモンスター。前。

不思議なことに「これは真実の記録が記された書物を作家が発見して、再編集して作り上げた本です。」と言われて、うふふ、フィクションだってわかってるもん、と思って読み始めたはずなのに、登場人物があまりにも魅力的すぎて、突飛な蘇生術もその後の色々な出来事も、子供っぽい憐れみも、ほんとであってほしいと思ってしまった。最後に本人のものとされる手紙で「そんなのは嘘っぱちです。」と言われても、いやいや、ベラは本当に自分の赤ちゃんの脳を移植されて、純粋に大胆に成長していったし、バクスターは人生の師なのだ。絶対そうだ。そっちのベラの方が真実味がある。と、まんまとノンフィクション化してしまっているではないか。
私のノンフィクション云々は、実は騙されやすいから、簡単に騙されるとカッコ悪いなと思うから、周りの人から騙されやすいと言われるから、単純にそれを避けたくて、心にバリアを張り巡らせるという、傷つきたくない弱い心の表れなのかもと、思ってしまった。うーん。恐るべしアラスター・グレイ。
「哀れなるものたち」

ある日ギャラリーに、22-3歳くらいの男の子が来て「僕は旅行中(旅行をしている理由も最もらしく、学生最後の何かを見つける一人旅みたいなことを説明していた)なのですが、銀行でお金を下ろすのを忘れて、クレジットカードも持ってないので、泊まる事もできないし、食事もしていないんです。家に戻ったらお返しします。」と言われて、あらあらと思い、食事に連れて行ってホテルをとってあげた。それを見ていたスタッフ達は、「あーあ、まいっか、どうせ作家を連れてみんなで食事に行く予定だったし、1人増えたところで別にあれだし、何よりオーナーがその話を信じてるみたいだから好きにさせておこう。もしもそれ以上何かあったら、それはその時助けてあげればいいし。と話してた。」と次の日言われた。「嘘!あの話、信じてなかったの?」と、私。でも、もし本当だったら・・・。あの人ちゃんとやれてるかなあ。

お気に入りのクッキーモンスター。横。

その他にも、お休みの日ピンポンがなって女性の人が「お話、いいですか?」と言うから「何でしょう?」と言った。そこからなんだかんだで部屋に上がってきて「お水の検査をします。」と。蛇口からちっちゃな瓶にお水を入れて液体を垂らすと、ピンクになった。「見てください、こんなに残留塩素が入っています。こんなお水を使っていると・・・・。」と。「うわあ、そうなんですね。確かに綺麗なピンク。」(ピンクで何がいけないんだろう。塩素が入ってなかったら逆にまずいよね。)40万円くらいする浄水器の契約書を書いてると、その人が自分の今の境遇を話し始めた。なんかよくすぐそういう話をされる。聞いてるうちにシュンとしちゃって「私、お昼まだなんですけど、時間があるならご一緒しませんか?」とお寿司をとった。食べ終わった後「タバコ吸っていいですか?」って言われて、それは勘弁と思ったにも関わらず「あっ、はい。」ってキッチンの換気扇のところでお願いした。その人は食べ終わったお寿司のおけに吸い殻を入れた。「!」それは絶対ダメですよ。お寿司のおけを洗うとき、触るのも嫌いな吸い殻を水に濡らしてから、ゴミ箱に捨てた。そう、書いていて思う。しっかりしてるようでこんな風。その時おうちに印鑑がなくて、次の日ギャラリーに来てもらう事にした。スタッフの1人に「その人が来たら呼んでね。」って言ったら「何事です?」と聞いてくるから、ことの顛末を説明。「あーあ、契約書破棄させて追い返しますから。オーナーは出てこなくていいです。」と言われた。

実はこんな話、掃いて捨てるほどある。自分のこと、そんなに馬鹿ではないと思っているのに、どうしてこんな話が大量に出てくるのか、得意不得意では片付けられない。周りのみんな、助けてくれてありがとう。でも、こんな風でも見放さずにいてくれるってことは、それ以外のところにいいところがあるんじゃないかと信じたい。

そうだ。ホントも嘘もごちゃ混ぜの「哀れなるものたち」の世界の中で、1つだけ私の事実とリンクする部分があって驚いた。なぜアラスター・グレイはわざわざアーチーがその病気になったとベラに書かせたのだろう。おまけにその件にはわざわざ(彼自身が診断したのです)と注釈までついている。現代ではMRIがあるから診断できるけど(それでもなかなか診断がつかない)1908年当時に診断?自分で?
この部分、わざわざ必要だとも思えない。想像するに作家自身か、もしくは作家の周りに存在する紛れもない真実なんじゃないかと思う。たっぷりの違和感を抱えさせながらも最後まで一気に読ませたアラスター・グレイの手腕の中で、この部分だけ、激しい違和感を発しているように思う。
「彼は病気に安住してくつろぐのです。」
ふふっ、簡単に言うね。

今日は、ベイクドビーンズを食べよーっと。

未来さんが野菜、野菜って言うから、
ベークドビーンズにも野菜入れちゃうよ。

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