見出し画像

朝方の電話は、何かしらの不穏な空気を纏っている。

今朝は、起きる前から「あれやって、これやって、あれもやろう。」と思うほど、すこぶるご機嫌に目が覚めた。

朝方かかってくる電話は、大抵、ご想像通りいい話であることが少ない。大体電話で通話することも少なくなった今、こういうテイストで連絡が来るということは、悲しいお知らせだと想像がつく。

今朝もそうだ。素敵な1日に向けて、ご機嫌な朝ごはんタイムを過ごそうと、ルンルン用意していると、父親からの着信。これがまたファレル・ウィリアムスのHAPPYにしてるもんだから(自分でしたのだけれど)何気に騒々しい。

これは絶対、親戚の誰かか、父親の兄弟がお亡くなりになったんだな。と思い、出てみると、案の定、その連絡。

遠方にいる父のお兄さんの奥さんが亡くなったらしい。と、はるか遠くの靄がかかったような記憶の中にしかいないその人のことを突然聞いても、「へーそうなんだ。」くらいの事しか言えないし、何十年も会ってないのに、突然悲しんだりできない。

父親は「一応、出席はできないと連絡した。」と言いながら、何やら不安そうな口ぶり。「お父さんが死んでもこんな感じなんだろうなあ。」と突然自分に重ねてくる。お父さん、朝っぱらからおセンチになられても、死んだ本人は何もわかんないよ。と、素敵な1日の始まりと、途中まで作った朝ごはんを邪魔されたせいか、ちょっと意地悪く考えながら、「大丈夫、私がいるじゃん。その時はその時でちゃんとするよ。」と。

「ちゃんとするよ。」と言ったが、もちろん、そういう時のちゃんとなんてほんとは全然わからない。母が亡くなった時も、あれよあれよという間に進んでいって、私ときたら、本当に泣きっぱなしだった。これがまた本当に。
何が「ちゃんとするよ。」だ。想像がつく、多分無理だ。今そんなこと考えるだけでも泣きそうなのに。あーーーヤダヤダ。私はあなたのことが好きなんだよ。そりゃそういう時が来ることは分かってはいるけど、いなくなる話なんてしないでくれ、ほんと、その日ギリギリまで。

その叔母さんの思い出は、おばあちゃんのお葬式の時、まだ弔問のお客さんがたくさんいるのに、ガンガン掃除機をかけてたことと、おばあちゃんを面倒見るとかなんとか言って、おばあちゃんが持ってる土地に家を建ててもらって、家族で移り住んできて、一応、おっきい家だったのに、おばあちゃんを一番北側の6畳間に押し込んでいたこと。おばあちゃんは、自分のご飯を自分で用意しなくちゃいけなかったこと。
子供ながらに頭にきたものだ。それまでおばあちゃんは、私たちと一緒に暮らしていた。遊びに行った時、おばあちゃんが「〇〇ちゃんたちと、また一緒に暮らしたいなあ。」と私にこっそり言ったことも覚えてる。
飛んで帰って、お母さんに「ねえねえ、おばあちゃんがそう言ってたよ。」って報告したら、「そう?おばあちゃんに聞いてみるね。」と言ってくれた。
なのに、それが現実問題となると、おばあちゃんはその叔母さんに気を遣って、結局言い出せなくて、お母さんが言うのも止めて、そのうち体を壊して入院した。

おばあちゃんは入院してからの方が楽しそうだった。

散歩で出会った黒猫さん。ツヤツヤビロードのような毛並み。

そう、昔から私は白黒はっきりさせないとすまないタイプだと言われる。勤めていた頃の部長が「〇〇くん、世の中には白と黒だけじゃなくて、グレーにしておいた方がいいことの方が多いんだよ。君にはまだわからないかもしれないけど、そういうものなんだ。」みたいなことを、僕は大人だからね。みたいな顔して言われたことがある。そういうものってどういうものなんだ。と思いながら、何故私は中間管理職の人間に嫌われるのだろうと思って聞いていた。

おばあちゃんは大人だったのかな。じゃあ、叔母さんはなんだったんだ?と思う。

ネットで出会った可愛い白猫さん。
ブリティッシュショートヘアという種類らしいです。

黒か白か、大人かそうじゃないかなんて、いまだにわからないけれど、意地悪な方が我慢しなくて、弱い方が我慢するのが万年部長が言ってた、美しいグレーの世界なんだろうか。それとも子供の私にはわからなかった、もっと複雑な事情でもあったのか。なんだかどう考えてもスッキリ納得はできない。

叔母さんがどんな風に亡くなったのか知らない。どっちにしたって人間はみんな死ぬんだ。命あるもの全てそうだ。そう、私だってそうだ。
死ぬ時に「あーとりあえずこれでいいやっ、楽しかったぜ、アディオス、アミーゴ!」と言えるくらいサバっと逝きたいと思う。「みなさん、どうも、ありがとうございました。」と。

ということで、父親が連絡の電話で聞き取れなかった葬儀会場の名前を調べて、お花と電報を送ることにした。電話で葬儀会場に確認する時、苗字は私と同じだからわかるけど、なんと叔母さんの下の名前がわからなかった。

最近「遠くの親戚より近くの他人」とはよく言ったものだと思う。今、周りにいてくれる人はもちろん赤の他人だけれど、私にとっては、ありがたくて仕方ない人たちで、もちろん下の名前も誕生日すら知っている。なんなら好きな食べ物も、どんなことに興味があるのかも、ある程度わかってると思ってる。

ごめんなさい。叔母さん。あなたの下の名前をお亡くなりになってから知りました。おばあちゃんとの出来事も、途中まで作った朝ごはんも、これを持ちまして綺麗に忘れようと思いますので、こんな私のことも水に流してください。R.I.P.

お花です。
叔母さんとその遺族の近くにいてくれる方、よろしくお願いします。

こんな私は冷たい人間なのでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?