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エドワード・ゴーリー感想

ナンセンスなイロニーに満ち満ちた、子供にしかできない悪ふざけ。どこか夢を見ている気分にさせる浮遊感。全体の黒みがかった背景の中で動き回るものたち。彼らのそのまがまがしい可愛さに、思わず恋心を抱いてしまう人も多いのではないかと思われる。なおかつ、その最期は悲劇的な結末に終わることが多く、読者は登場人物に自らを投影することで、あの頃から自身を執拗に蝕み続ける不遇を憐むことが多々あろう。聖書に導かれた信仰心の篤い少年の日々は、稀に見る自然現象によってあっけなく終わり、どこにも生きる居場所のない少女は、愛しいひとり娘を捜索する父親の乗った馬車に、雪の凍りついた路上で轢き殺される。人気作『うろんな客』に死亡する者は描かれないが、それと同じくらい多くの人々から好まれている『ギャシュリークラムのちびっ子たち』では、全員が皮肉に満ちた奇妙で残酷な死を遂げている。彼の描く物語の面白さというのは、まさにそこにあるはずだ。無駄に長引く生を毛嫌いしながら、自分ひとりだけの快適で陰鬱な世界に引きこもり、白紙にお気に入りの悪夢的なヴィジョンを創造することで、マリオネットを操るように人々の運命を弄ぶ。どうにかして彼のシナリオから逃れようとする者たちは、先のページへと進むにつれて行き場のない不安に苛まられながら、あらかじめ予告された死を待ちきれずに自ら走って向かう。運良く彼の思惑から一度くらいは逃げ切れたとしても、気を抜いてため息をついた途端に、やさしい両親の待つ暖炉の効かせたお家にはもう二度と帰れなくなってしまう。彼らが目の前に訪れた死に絶望するさまを見つめて口元を歪ませ、頬杖をつきながらキャンバスにぎこちない動線を刻み終える画家の生き生きとした姿が思い浮かぶ。窓辺に並ぶ海の封じられた瓶のコレクションや、部屋を好きに走り回る快活な猫たちに囲まれた一軒家での生活は、おそらくとても内向的で、玄関の外に広がった生に対する慰めとしての悲哀に身を委ねたような、じっくりと悩むだけの心の余裕も持てずにいる我々にとっては羨ましくて仕方がないほどに堕落した生活を送っていたことだろう。彼はただ自身の住う廃墟を外界へと顕わにしたかっただけなのかもしれない。鬱血で死ぬ直前まで愉快に飛び跳ねて踊るクリーチャーたちの輪に加わり、20年が経った今日においては、きっと火山灰の中で三葉虫と共に引き笑いを起こしている。幼い頃より猫たちと生活を共にし、その生涯をインクに捧げた。

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