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「下谷広小路」−老舗店と新参服が交差する広小路–『名所江戸百景』

明日は正月ぶりに友人に会います。
ゼミで会ったりはしましたが、ちゃんと約束して出かけるのは二ヶ月半ぶり。

そのために爪も綺麗にしてなにを着ていこうか、まるでデートのように楽しみにしているのでした。

そんなワクワクを保っている今日も広重
今回は『名所江戸百景』「下谷広小路」です。

◼️ファーストインプレッション

この赤と青の暖簾のかかった建物が「いとう」「まつさかや」と書かれているお店です。
今も残っている松坂やと同じでしょうか。
また昨日の絵のように傘をさして行列をなしている女性たちが描かれています。
昨日のような傘の柄ではないのでまた違う団体でしょう。
周囲の人の目を引く存在感を放っていたのでしょうね。


◼️描かれている場所

下谷という場所は三ノ輪や吉原の方面に現存している区域なのですが、絵に描かれている松坂屋をもとに考えると、上野広小路駅御徒町駅の近くであると考えられます。

現在,広小路といえば上野広小路が有名である。ここは東叡山寛永寺黒門前に設けられた火除地であり,下谷(したや)広小路とも呼ばれていた。ただし上野広小路が現在のように繁華街の中心になるのは近代になってからであり,江戸時代には,後に上野駅構内になる山下と呼ばれた一帯が,むしろ広小路としてはにぎわっていた。

https://kotobank.jp/word/下谷広小路-1331178

こちらを参考にすると場所は下谷とはいっても、実際は上野広小路のことを示しているのですね。
以上をもとにすると、下の地図では交差点「学問のみち」あたりからの景色ということになります。


◼️上野松坂屋

現在も上野松坂屋はございます。
大丸・松坂屋として上野だけでなく静岡、高槻、名古屋にも店舗があるそうです。
この店のマークは絵が描かれている当時から全く変わっていませんね。

松坂屋は1611年から歴史が始まります。
名古屋本町に呉服小間物本店が建てられ、そこから1768年に上野に出店しました。
その時に「いとう松坂屋」として名前を変えたそう。

ちなみにこのいとう松坂屋の建物が隣の建物よりも新しい木材で建てられているのがよくわかりますが、この絵が描かれた1856年の前年に起きた安政江戸地震の影響の火事で全焼してしまったそう。普請されたての建物であるためにこんなに新築同様の木造建築として描かれているらしいです!
例の如く喜千也さんの記事からの受け売りです!笑


◼️傘を差した行列の正体

この傘の目はなんと表現したらいいかわからない、言葉にしにくい柄をしていますね。
今回の列は特に何か議論の余地のある集団ではないっぽい。笑
お稽古の師匠に連れられて上野山の花見に向かう様子だという!
昨日見た遊女吉原の列のように衣装が決まっている様子はなく、羽織も帯も着物の裾も各々の色味であるのでおめかし私服なのかもしれませんね。

歌川広重「江戸名所飛鳥山花見之図」

同じ広重の作ですが、これも大人が引率している様子から、、、。

とはいってみたものの、なんとなく禿感さえある少女たち。
飛鳥山という場所から考えると頑張れば歩いていけそう。
傘をさして花見に行く同じような絵の根拠を出そうとしたけれどなんか、違ったかも、、。

◼️ズボンを履いている男性

画面下の行列を眺めている刀を携えた男性たちが数人いることがわかるでしょうか。
この男性たち、刀を持ちながらも袴ではなくズボンを履いているのです!

日本では1841年高島秋帆が日本初の洋式軍事演習を導入し、その時の兵士の装いに筒袖上着裁付袴を用いたことが始まりであるそう。
そこからまた合理性をもとめて筒袖上衣股引といった服装を軍服に採用しました。
この軍服は意外にも西洋の様式を取り入れたものではなく、日本的に改良したものであると言います。
きっとこの絵の男性たちも軍に入っていた兵なのでしょう。
彼らは一般人よりも先取りして西洋を取り入れているのですね、


今回は上野松坂屋の歴史とズボンの歴史を見ていきました!

今日はここまで!

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