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「大はしあたけの夕立」−色彩も陰影もゴッホを魅了す!−『名所江戸百景』

花粉が酷い!!

目が痒くて掻きむしっていたら目が腫れて浮腫みだしました。

でも普段奥二重な片方の目がちょっと二重が強くなってきて見た目は気にしないですみました笑。

そんな花粉症に苛まれている今日も広重。今回は『名所江戸百景』の「大はしあたけの夕立」です。

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◼️ファーストインプレッション

で、出た〜!『名所江戸百景』の中だと一番有名なんじゃないかっていうくらいよく知られている絵な気がします。

この絵では雨を直線で描き方式を取っています。以前『名所江戸百景』で雨の景色を扱った「赤坂桐畑雨中夕けい」「駒形堂吾嬬橋」は前者が黒の直線、後者が白の直線で描かれる違いがあることを見ていきました。

この絵ではかなり多くの直線が使われているため、橋や人々、川の景色が澄んで見ることはできません。傘を差したり相合で被ったりしている人々を見ると相当な土砂降りで、しかも突然の驟雨のよう。

川もなぜか水位が上がっているかのような印象を受けるのは少し向こう岸が膨らんで見えるからでしょうか。

この絵は確かフランスの巨匠たちにも好まれたもので、特にゴッホはこの絵を真似て描いたことがあったのを思い出しました。


◼️描かれている橋

こちらに描かれている橋は”新大橋”という橋です。

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よかった、現存しているそうです。

https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0415/

幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、隅田川に橋が少なく不便を強いられていた江戸庶民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられ、西岸の水戸藩御用邸、東岸の幕府御用船「安宅丸」の係留地を橋詰としています。

徳川綱吉の代からこの歴史があるのですね。幕府御用船の名前が「安宅丸」だったことからこの地名も題名の通り「あたけ」とされたのですね。

なぜ”新”大橋と呼ぶのかというと、隅田川にかかる橋の一つである両国橋が”大橋”と呼ばれていたので、それに次いで大きな橋であるために”新”が付いたそう。


◼️ゴッホの描く浮世絵

ゴッホの伝記を以前読んだのですが、彼はフランスのアルルを日本の風景と重ねてジャポニズムに陶酔していったそうですね。

去年ゴッホ展が東京に来ていたのにその時は行くほどの興味がなくて行かなかった、、。ものすごく惜しいことをしたと後悔しています。今では数冊のゴッホについての書籍を読むほど知りたいと思っているのに、、。今は名古屋で開催されているから名古屋まで行っちゃおうかと思っています。

そのゴッホが描いた「大はしあたけの夕立」がこちら

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ゴッホ特有の黄色と緑のベタ塗り感。そして彼特有の遠近に囚われないモチーフの個性の出し方。一方からだけではない雨の降り方に加えて水面が草で覆われてしまっている騒々しさが土砂降り感を際立たせます。

でもやはり日本風の遠近をあまり感じさせないベタ塗り感は、ゴッホの西洋の陰影の濃さに比べてやはり弱い印象ですね。

ゴッホの人生を見ているとなんとも救いようのないような、でも彼のしたいことも理解したい気持ちもある。そんな不安定さが多くの人を「もっと知りたい」という気持ちにさせるのでしょう。


北斎の『富嶽三十六景』を出版しているアダチ版画研究所にこんな記事がありました。拝見しましたがとても納得できる記事でした。ためになります。

『亀戸梅屋敷』も同様に模写することで浮世絵と西洋画の違いを浮き彫りにしました。ただ一つの風景なのにも関わらず、そこに赤が主に使われていることに衝撃だったのでしょう。

感じたものを描くゴッホのポリシーが浮世絵に通じていたのでしょう。

今回は描かれた橋について、また、この絵を模写したゴッホの絵について見ていきました!

今日はここまで!

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