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「増上寺塔赤羽根」−安産祈願を以て嫁いだ嫁よ今何処〜−『名所江戸百景』

最近はニュースを見ていると嫌になってしまうことが多くてテレビやツイッターを見ることを避けがちです。でも知っておく必要のあるものは見ておくべきなのかもしれませんね、、。

今恐怖や怒りに慄いている人々が多くいる中で学習できる幸せを実感しています。見たいものを見れて、知りたいことを知れて、ペンを動かせることがどれだけ恵まれているか。

同い年でも恐怖の中にいる人々が今日を「あの頃」として語る時が来た時に、自分は何も考えずに遊んでいたなんて言ってしまうことにならないようにしたいなと実感します。

なので今日も広重。今回は『名所江戸百景』「増上寺塔赤羽根」です。

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◼️ファーストインプレッション

増上寺というと港区に聳える大きなお寺という都会的だけれど古き良き的なイメージがあります。東京タワーとともに見ることができる不思議なお寺ですね。

赤い組み立てがとても印象的ですね。木々の中から見えるお寺はとても映えるものである気がします。

増上寺の周りはお堀になっていて、橋が架かっています。現在の増上寺に行ったことがないのでわかりませんが、当時は結構深くて幅広いお堀があったのですね。

左画面に火の見櫓が一棟見えます。広重が火消しの家に生まれたことから書き足したくなったパターンでしょうか。

◼️増上寺五重塔

17世紀中頃の増上寺は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が甍ぶきの屋根を並べる、とても大きな寺でした。
当時は、3000人以上の学僧のお念仏が、全山に鳴り響いていたと言われています。
苦難の明治期と戦災を乗り越えた増上寺は、昭和49(1974)年に悲願の大殿再建を果たします。
それ以後も、次々と諸堂宇を完成させています。

堂宇(ただの4本柱に屋根の建物)と学寮が軒を並べる区域だったのですね。

慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。

家康が関東を治め始めてから徳川家の菩提寺としてこの増上寺が選ばれたのでした。

「徳川家」のなので家康以降もその習慣は受け継がれていき、将軍六人の墓が設けられているそう。

全国の浄土宗の宗務を統べる総録所が置かれたのをはじめ、関東十八檀林(だんりん)の筆頭、主座をつとめるなど、京都にある浄土宗祖山・知恩院に並ぶ位置を占めました。檀林とは僧侶養成のための修行および学問所で、当時の増上寺には、常時三千人もの修行僧がいたといわれています。寺所有の領地(寺領)は一万余石。二十五万坪の境内には、坊中寺院四十八、学寮百数十軒が立ち並び、「寺格百万石」とうたわれています。

先ほど引用した通り、僧侶を育成するための学問所としての檀林学寮があったそう。そのため修行僧がかなり多くいて、念仏が響き渡っていたくらいらしい。

このような学問所として発達した場所である一方で、江戸の中でとても重要な役目を果たしたお寺でもありました。

それが、江戸城の裏鬼門にあたる南西を封じる役目だったのです。上野の寛永寺も鬼門を封じる役目を果たしていたお寺でしたが、増上寺と対になるような立ち位置だったわけです。

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◼️赤羽橋

赤羽と聞いて、北区の方を思い浮かべてしまいますが、そうではなく港区の赤羽根。

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赤ピンに大江戸線の赤羽橋駅があります。その南東に赤羽橋があるのがわかります。そのあたりを描いていていることもわかりますね。

でもこの絵を描いているのは、意外と赤羽橋から遠目のところ。大体右上のファミリーマート芝増上寺前店と書かれているあたりからザプリンスパークタワー東京を眺めているような位置関係です。


増上寺を描いた作品は時代を跨いでも多くあります。しかし明日も実は増上寺を扱うことをフライングして見てしまったので、それは明日にしましょう。。。


◼️赤羽水天宮

この絵の中に水天宮というものが写り込んでいたらしいですが、私は気づけませんでした。

霞の奥に昇る幟が五つ見えますが、そのあたりにあるらしい。

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安産願いを主に祀っている本宮であるそう。

金の組み立てはとても目立ちそう。江戸時代はこんな感じではなさそうですがね。。

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赤ピンの元神明宮というところがその赤羽水天宮であったところです。

日本橋の方に水天宮という場所はありますが、そこに合祀されて、今は跡地みたいになっています。つまりこの元神明宮は分霊ということです。

水天宮を描いた絵が多くあるのを見つけたので載せます。

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歌川広重「江戸名所之内 芝赤羽根 水天宮」です。

後ろの火の見櫓を目印に考えると、ここの橋は赤羽根橋なのだと考えます。ちゃんと橋の渡るところに辻番所があるのが、一致します。

背景の蔵のようなところは筑後久留米藩の有馬家上屋敷『名所江戸百景』でも描かれていますが、そこまで個性は出ていません。

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歌川広重「江戸名所 赤羽根水天宮」です。

まさに赤羽橋の上から描いている絵です。火の見櫓がしっかり描かれているのに加えて、その右に幟が立っているのもわかりますね。そこがまさに水天宮であるのです。

それに加えて有馬家上屋敷の蔵の連なりを見ると、真ん中に赤い門があるのがわかりますね。そこに『名所江戸百景』と重ねるとちゃんと同じ赤い門がありました。

かなり前にやったのを思い出しましたが、そこの家の娘が嫁に行ったことの証でしたね。

有馬家の娘はどこの誰に嫁いだのでしょう。

今回は増上寺と水天宮、そこを描く浮世絵を見てきました。

今日はここまで!

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