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「にい宿のわたし」−平面的に描かれる中川、騒がしくない−『名所江戸百景』

北海道から帰ってきて、現実に飛び込んでいることを実感しています。
やるべきことと、世間とのラグに追い込まれて心が苦しくなっているけれど、「自分のペースで、自分のペースで」と言い聞かせています。

何をしている時が一番幸せかというと、寝る直前の薄暗い部屋で漫才を見ているとき。

その時間を待ち遠しく思って、夜の広重タイムです。今回は『名所江戸百景』「にい宿のわたし」です。

◼️ファーストインプレッション

私は新宿が大好きなので(?)(ぴえん系とかじゃないです地雷系でもないです)てっきり「にい宿」も読み方が違うだけで新宿のことかと思ってしまいました。
けれどよく考えれば、新宿を描いたときは「新宿」と表記されていましたよね。水辺もないし。
以上、どうでもいい話でした。

右下の水辺には馬が水を飲んでいるのか、荷物を船に乗せているのか。
馬を使っている人がここを往来しているということは、この道の外れたところに大きな街道があったということなのでしょう。

そして題名の「にい宿の”わたし”」というのはきっと、渡しのことなのでこの馬がいる場所から船は出ていたのでしょう。
やはり描かれている舟を見ても、荷物の運搬をしている様子が伺えるので街道でも要所である宿場町として栄えていたのでしょうか。

にい宿が一体どのあたりなのかを検証することから今回は始まりますね。

◼️にい宿

このにい宿というのは、水戸街道(現、旧水戸街道)にあった宿場の一つらしい。
そしてその渡し場というのが、中川という川にあったものでもあるらしい。

亀有エリアが該当するらしいですね。
右真ん中から中央下に伸びる黄色い直線が、現在の水戸街道

旧水戸街道はどこかというと、現水戸街道の右真ん中の始まりの少し上に「旧水戸街道」と記載があるのですが、そこから「木曽路金町店」と書いてある”木”の部分に伸びて、そこから「村田第2マンション」と書いてある文字をなぞって、直角に北上します。そこから「ドッグハウスINU−INU」を左折してそのまま大通りの沿って西に伸びているのが旧水戸街道

大通りを少し外れてしまいますが、それ以降は千住までずっと一本で繋がっています。

川の地形が大きく変わることはそうそうないと思うので、現在と同じ位置関係だとすると、にい宿の渡しは、中川橋の両岸どちらかに該当するのでしょう。

毎度参考にしている書籍『広重TOKYO 名所江戸百景』では絵の左奥に描かれる山の連なりを”日光連山”としています。

なので、↓

Googleとある中央下の表記の右側にある赤ピンの中川橋から中央上の日光を見ると、どっちサイドにあれば絵のような描かれ方ができるでしょうか。

東側だと、川の向こう岸まで視野に入るくらい描こうとした時に日光ではなく群馬県が視野に入ると思います。
西側だと、まさに日光連山を眺めれば絵と同じ風景を見ることができるのではないかと思えます。

一応今回は『広重TOKYO 名所江戸百景』を見ながらやってはいます、、。
日光連山だなんて想像もつかなかった。

◼️中川

絵の中にこれといって目印となる名物は見当たらないので『江戸名所図会』に頼ります。

「中川 隅田川と利根川の間に狭りて流るる故に中川の号ありといへり荒川の分流熊谷の辺よりはじめて遠く埼玉と足立との両郡の合を流を利根川の分流も川俣よりはじまり二水猿の俣の辺にて合し飯塚大谷亀有新宿等の地に添て青戸奥戸平井木下川及び小村井逆井を経て海に入る(猿の俣より末を中川と称し上を古利根川といへり往右水戸黄門光圀久水府(?)入部の頃此中川乃水中にして一の壺を○こまひしより年々宇治へ詰茶に登せらるをその器を中川と命ぜらると○り)
中川やはふりこむてもおほろ月 嵐雪」

ううううううう疲れたああああーー。

最後の俳句に関してはちょっと調べた笑。なぜなら「はふり…」から読めなかったから笑

『江戸名所図会』には中川の流れ方を説明しています。川俣から始まるとありますが、福島県が出てきました。本当にそこかな?
そこから流れて、逆井の渡しのあった場所で海に繋がるということ。
()内の話ですが、水戸光圀との関係・中川の由来がまた壺関係だということが書かれていますが、解読不可。

そして俳句を詠んだのが松尾芭蕉の弟子でもあった服部嵐雪

こういう人らしいですよ〜。かわいい。
この俳句に関する現代語訳がどこにも乗っていなくて、諦めました。
きっと嵐雪集とかそういう歌集には載っているんだろうとは思いますけれど、図書館に行かないとですね。さっきまでいたけど、、、。

放り込んでもってどういうこと?
”何か”を中川に放り込んでも、月は朧月のまま、、。
中川は運搬や釣り(後述)で波が穏やかな時が少ないから、何かを投げ込んだとしても、月は変わらずはっきりと水面に映らない、みたいなことでしょうか。

調べ甲斐ありそうー!

こちらが挿絵。
船の多さが印象的。渡しだからというのもありますが、隅田川並みに賑やかな川ですね。

こちらも挿絵なのですが、中川では釣りが盛んだったことが記されています。
多分ね、”多分”ですけど、釣りをする季節によって鱚は鱚でも称し方が違ってくるそう。
季節によって違うということは春夏秋冬釣りをする人々で川は賑わっていたことが想像できますね。

描かれているおじさんの中には釣れて嬉しそうな顔が描かれています。


『名所江戸百景』の松の並びの真ん中にしゃがんで釣りをしている人が一人いますが、この人もこんな岸で釣れないかもしれないとは思いつつもおこぼれを待ち惚けているのかもしれませんね。

なんだかこの2時間くらいで顔がやつれてきたので(笑)このあたりにしておきます。

今日はここまで!
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