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「鴻の台とね川風景」−静:動=切り立つ崖:一本線の富士−『名所江戸百景』

最近は寝る前に英文の音読とフランス語の音読をしています。
あとちょっとで終わるという時に2日連続で寝落ちしていました。

起きたら腰の辺りに表紙が折れ曲がったフランス語の本があるのを見るとなんとも言えない気持ちになります。

目覚ましはかけているのでちゃんと起きれているのがまだ救いです。笑

そんな寝落ちデイズも広重。今日は『名所江戸百景』「鴻の台とね川風景」です。

◼️ファーストインプレッション

絶壁と大きな船、向こうの富士山がスケールの大きさを感じさせます。
松が数本植えられている崖は抉られているくらい絶壁にあります。
結構ギリギリに生えているなあと思いきや、そのもっと崖側に桜か何かの花を咲かせた木が生えているのが、生命力を感じる風景です。
そこには人が三人立っていて、川の向こう岸を指差しています。
富士山を指しているのかな?

真ん中を通る川は題名からして利根川なのでしょうか。
帆を立てた船が数隻流れています。帆を立てているのがとても大きな船であることを感じさせますが、実際はそんなことはなさそう。

奥の富士山は陰影は描かれず、輪郭だけで描かれていることでその存在感だけを感じさせているように感じます。
手前の崖の荘厳さやその激しさに反して富士山の冷静さが対照的で見応えののある作品ですね。

◼️鴻の台

鴻の台という場所は現存していませんが、土地名として使われていることがあるそう。

赤ピンのサンヒルズ鴻の台はあくまでも使用されている例として示したのですが、その西側にある「国府台」という地名に着目です。

特にこの漢字の違いについては調べてもなかったので、参考書を参照しますと、下総の国府が置かれていたことからこの「国府台」という地名がついたということです。
それがなぜ同じ音の「鴻の台」と記載がされるのかというと、江戸時代は利根川のこの辺りにコウノトリが棲みついたことからこの名がついたそう。
たまたま同じ音にできたのがなかなかうまいこと行ったなという感じです。

実はこのあたりを描いた浮世絵は他にもあるようです。

文化遺産オンラインからの引用です。
広重の『不二三十六景』「下総鴻の台」です。
こちらは崖の上部から俯瞰して描いているようですね。
富士山の描かれ方は『名所江戸百景』と同じです。人も三人。ちょっと視線を変えた描き方をしたというのが違いでしょう。

それを確かめるために『江戸名所図会』も見てみましょう。

こちらが「國府台断崖の図」です。
服部南郭の漢詩が載っていますが、これは總寧寺眺望について書かれているのですね。
うーん、読めん。

この絵では崖が『名所江戸百景』よりももっと際どい激しさを増しています。
崖上の平面には人が数人集っていて、松のような木が植えられています。それも『名所江戸百景』と同じ描写ですね。
しかし川を隔てて右の方面には富士山は描かれていませんね。

山の連なりは描かれていても富士山を描かない理由はあるのでしょうか。

実はこの崖からは富士山を見ることはできないそう。
千葉県の利根川の東側を国府台としています。利根川の東を葛東、西を葛西として現在も残っている地名ですね。
その葛西ではない方の葛東は今の千葉県の国府台にあたります。

で、そこから利根川を眺めている絵ですので、方向的には国府台から東京を眺めているような位置になります。すると、

東京を通して見まして、

ライフ小岩店を眺めているような位置関係ですよね。
そのままだと富士山を眺めることはできるのですが、『名所江戸百景』
では川を南に眺めているような位置関係になるのが問題なのです。

なのでどう頑張っても視界に富士山は入らないのが事実です。
これを参考にしている『広重 TOKYO 名所江戸百景』では”見どころをより多く描くための位置移動だろう”としています。
確かにこの一本の線で描かれる富士山があるだけで崖との対照物になったり、人々の視線を考えるきっかけになったり、作品により個性を見出してくれています。

広重は北斎に対して、写実性で勝負したという話を聞いたことがありましたが、この遊び心は広重自身はどんな気持ちで書いたのか気になるところではあります。

今日は鴻の台について、現在の場所と江戸時代での描き方、事実との相違を見てきました。

今日はここまで!
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