立ち上がれなくなった時の話
どんなに前向きに頑張っていても、逆に日々なんの生産性もなく過ごしていても、心をへし折られるような事というのは起こる。
メディアに露出して「あんな風になれたらいいな」と羨望の対象になる人にも、露見してないだけでそういう事は必ず起こっているはずだ。
私的に言い切らせてもらえるなら、生きてく中で一番辛い出来事は「別れ」だ。
引っ越し、離職、破局、そして永遠の別れ。人生には必ず別れがある。
数回前のnoteにも書いた部分もあるが、私も人生でこれまで3度ほど「もう立ち上がれないし、立ち上がりたくない」と思った事があった。
そのいずれもが人との別れだ。
幼い頃から色々な出来事があり、結果として比較的克己心が強くなる環境だった。
乗り越えないといけない壁が多く、自然と他者に依存しない生き方になっていった。
私は友達も知人も多いと思うし、知らない人に話しかける頻度も極めて高い。しかし、反面、他人に心を完全に開く事は出来ずに独りで行動する事が多い。
自転車でも登山でも、それ以外でもとにかく独りだ。
離婚する時も結婚する時も進学や就職についても誰にも相談する事もなかった。
そんな人生の中で、自分が心を開く事ができた人は四人。
そのうち二人はもうこの世界にはいない。
離婚の時も本当に苦しかった。離婚自体ももちろん苦しいのだが、「もう2度と子供達と一つ屋根の下で暮らす事はできない」という事が確定した時は、自分の心が割れる音が聞こえた気がした。
どんなに頑張ってても、自分では真心を込めて生きていても辛辣な出来事というのは起こる。
ただ理解すべきなのは
辛いと感じてる時点であなたの心には真心があった
という事だ。
自分はなんてダメな人間なんだ…と思うだろうが、それは違う。言い切れる。
ダメな人間じゃなかったからこそ、ダメージを受けてるんだから。
ダメな人間はダメージを受けない。刑事事件なんかの裁判で不遜な態度をとる奴がいるだろう?
あれがダメな人間なのだ。
辛い時、心が折れたりした時、それは自分が真心を持って歩いて来た証なのだ。正しい自己採点をして欲しい。
そう考える事が直ぐにはできないが、徐々にそう思えたなら少しだけ立ち上がる準備ができ始めたという事だ。
それが「立ち上がるためのステップ①」だ。
ステップ②は「無理やり環境を変える」だ。
今まで住んでなかった所に転居するでもいいし、全くやった事がないことに取り組むのでもいい。
時間や空間をまず変える事だ。
「何かをやめる」よりは「何かを始める」の方がより効果的だと思う。
私の場合はまずジョギングと登山をやってみた。
どちらも全く未経験かつ独りだったが、部屋で独りで塞ぎ込んでいても死にたくなるだけだから、とにかく動こうと思った。
走る事はとても苦しかった。そりゃそうだ、大した運動もせずに社会人という名のぬるま湯に浸ってだのだから苦しいに決まってる。
ただ、肉体的な苦しさは一時的に精神的苦しさを消してくれた。もちろん悲しみはそんな簡単には消え去る事はないものではあるが。
恥ずかしながら、登山の最中に声を上げて泣いた事もある。
だが、とにかく何がなんでも続ける事が何より大切だ。
少しずつ少しずつ、肉体的苦しさは心の苦しさをリハビリしてくれる。時間の使い方や環境が変われば、傷跡は残れども必ず塞がる。
それをずっと続けて、ふと立ち止まって振り返れば、きっと自分が苦しみながら歩いて来た道程が後ろに広がっているはずだ。
「こんなに歩けたんだ」と思える日は必ず訪れる。
最後に、これまで書いたようなレベルではないが心が疲れたなと感じる時は
「旅の手帖」
をオススメしたい。
ちなみに今月号のインタビューの原田さんも不倫トラブルで大ダメージを負った過去があるが、それはそれとして真摯に謝罪して贖罪した姿を私は人として尊敬している。
疲れた時は旅がいい。旅に出る想像だけでもいい。
生活から切り離された時間を体験する事で心の疲れはきっと落ちていくと思う。
私も春には旅に出たいと思っている。
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