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【ジャニーズ問題②】日本における「男色文化の歴史」(1)

故ジャニー喜多川氏の未成年者への性加害報道に端を発し、改めて、それまでタブーとされてきた「男色文化」について、記載しようと思います🫣。

少し前から「BL(ボーイズラブ)」や、それを好む「腐女子」という言葉が普通に使われていたり、「おっさんずラブ」というドラマが流行ったりして、「男色」という言葉は何となく知ってはいましたが、女性にしか興味のない私は、これまで敢えて調べることもなく、
「男色」「なんしょく」と呼ぶのも、今回初めて知りました。

マンガ家の小林よしのり氏が
「日本の歴史は男色文化の歴史である」
「日本では男色は普通であって、1000年もの間、続いてきた文化だ」
と語っているのを見かけて、少々興味があったので改めて調べてみました。

すると、

次々に明らかになる禁断の秘密。

初めて知りました。

なんなのだ、この日本は??

「オカマの日本史」の著者で日本史研究者の山口志穂氏のYou Tubeにリンクを貼っておきます。LGBT法に対する当事者の意見も興味深いですね。
 ▼▼▼

◆ ザビエルも驚いた日本の男色文化!


1549年(天文18年)、戦国時代の日本にやってきたカトリック教会・イエズス会の宣教師「フランシスコ・ザビエル」が日本に布教に来て驚いたことが
日本のお坊さん(僧侶)が、尼さんと一緒に暮らし、読み書きを習いにきた武士の子弟と男色をしていたという事実でした。

更に、僧侶は男色を罪とも思っておらず、庶民は「お坊さんがやっているのだから、我々も男色をしている」と言います。
ザビエルが「男色は罪!」と叫んでも、逆に庶民に嘲笑されてしまいます。
『この人、なんだか怒ってるよ😆』と。

ザビエルは、戦国大名で男色の大内義隆に
「ソドミズム(男色)」が、神の意向に反した大罪であることを説きますが、逆に「他人様の性の好みについてとやかくいうな!」と叱責されたと言います。
ザビエルは謝罪し、領内での布教を許可されました。

これは、ザビエルがゴアのアントニオ・ゴメス神父に送った手紙に記されているそうです。

つまりこの時代、日本では「男色」はごく当たり前の行為で、それを怒るザビエルの方が、逆に不思議がられたのです🫢


◆ キリスト教では最大の罪


敬虔なクリスチャンであるザビエルにとって、「男色」は許し難い行為でした。
聖書では「女と寝るように男と寝てはいけない」と、男色を戒律として禁じています。

ジャンヌ・ダルク(Wikipediaより)

百年戦争末期、フランスの危機を救った少女、ジャンヌ・ダルクが火炙りにされた理由の中にも、
「男装をした」ということもありました。

「女は男の着物を着てはならない。
 また男は女の着物を着てはならない。
 あなたの神、主はそのような事をする者を
 忌みきらわれるからである」

(引用:申命記22章)

当時のヨーロッパでは、同性愛だけではなく、異性の扮装をすることですら大罪だったのです。
祖国を救った英雄に、火炙りとは…😰

ヨーロッパでは、同性愛者への迫害は、100年ほど前まで続いていたとされます。

つまり、先日成立した「LGBT法案」も最初は
「キリスト教的な価値観」から発生したモノであるという事実を知っておくべきです。

現代の21世紀に日本を取材したBBCのモビーン記者ですら、大いに戸惑っている日本社会なのに、
男色が許容されていた戦国時代のザビエルは、驚き以上に大いに憤りを感じていたようです。

もちろん、ジャニー氏が未成年の少年に対して行った行為は「性的虐待」であり、日本が伝統的に許容してきた性の嗜好とは全くの別問題で、決して許されるものではありません。


◆ 日本最古のBLは


日本では、明治になるまで同性愛がタブーとなることはなかった(驚)!
ヨーロッパのキリスト教国のような、同性愛嫌悪の伝統は一切ありませんでした😳

古代ギリシャや古代ローマにも同性愛者がいましたが、
日本では、3世紀の大和王朝の「日本武尊(ヤマトタケル)」
南九州にあった熊襲くまそを討伐する際、女装して寝所に忍び込み、クマソタケルと戯れている際に殺害したという話が伝えられています。

(「火の鳥ヤマト編」より引用。本作では、ヤマトタケルが女装したシーンのみ描かれている)


また、ヤマトタケルの息子の嫁となる神功皇后が朝鮮征伐から帰り、紀伊の国で次の戦の準備をしていた際、闇夜に包まれたまま、一向に昼が来ない。
調べてみると、病死した神主小竹祝シノノハフリと、その親友で、友人の死を悲しみ後追い自殺をした神主天野祝アマノノハフリを一緒に同じ墓に葬っていた。
遺体を掘り起こし、別々に葬ったところ、夜が明け、昼がやってきたという逸話が「日本書紀」に記載されています。
【日本書紀 神功皇后(十九)常夜行く
阿豆那比之罪アズナイノツミ

これが、最古の男色(同性愛)の記述ではないかと言われています。

彼らは「善友(うるわしきとも)」と書かれており、性行為を行う関係だったとされています。

但し、男色を罪とするような記載がないため、合葬が罪であることを伝えたものではないかとも言われています。


うーん
そんな昔から「男色文化」は、日本に定着していたのですね
知らなかった…🤫


次回も引き続き、これまでタブーとされてきた
「男色文化」の歴史を探っていきます。

空海、信長、家康などの話も触れる予定。

今回も長くなり恐縮です。
m(_ _)m

(つづく)

(2023年10月18日投稿)

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火の鳥ヤマト編
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