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横浜の「五月」①~帆船日本丸

【スキ御礼】歳時記を旅する38〔五月〕前*聖五月壁の舵輪は海を恋ふ

帆船日本丸にとって五月はどんな月か。

晴れた青い空に白いマスト。横浜に初夏の訪れを感じさせる月である。
帆船日本丸は、四月下旬から十一月の上旬にかけて、日曜祝日を中心に十数回ほど、全29枚の帆を広げる総帆展帆が行われる。
今年(2023年)初めての総帆展帆は、一回目の4月30日は悪天候で中止、二回目の5月7日もまた悪天候で時間と内容が一部変更になってしまった。

また、横浜に保存されるきっかけとなった月でもある。
日本の航海練習船として昭和5年から約半世紀にわたって活躍した日本丸は、1984年(昭和59年)に退役。
1985年(昭和60年)から横浜市の所有となっている。
日本丸を誘致する話は全国からあったそうだが、横浜の動きは早かった。
退役より十年以上前に、姉妹船である帆船の海王丸が横浜港に停泊されているときのこと。
船上には、横浜市の港湾業務にかかわる関係者と海王丸船長がいた。
そこで海王丸の引退後は、横浜で保存できないかという話があがった。
その二日後には横浜市は、港湾局長名で、海王丸を横浜で保存することを依頼する文書を公開訓練所長宛に提出したというのである。
それが昭和四十七年、新緑が目にしみる五月だったという。

そして今、横浜にはきっかけの話にあがった海王丸に代わって日本丸がある。
今の日本丸の一等航海士の船室に「1985.4.22 帆船日本丸オープニング記念」と銘打たれた舵輪が飾られている。
 「日本丸」とだけ前書きのある重次の句「聖五月壁の舵輪は海を恋ふ」のモチーフとなった舵輪は、これだったのではないかと思う。

日本丸には五月がよく似合う。

日本丸 一等航海士 船室

(岡田 耕)
*参考文献
  太平洋学会『練習帆船日本丸』原書房 1984 年

写真/岡田 耕
   (日本丸)

ありがとうございました。


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