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春の庭

小さな庭がある。種や苗を植えるが、どんな風に育つかのイメージがないため、ドロシーからは「ナチュラルすぎる庭」と言われている。今はヤグルマギクだらけになっている。

ヤグルマギクは原っぱに生えていると可愛いが、うちは庭が少し高くなっているので道路からみると草ばかりに見える。子どもからは「コンセプトがわかりにくい」と言われる。みんな好き勝手をいう。

ガーデニングは面白いなと思う。子どもと同じで思ったように育ってくれない。結婚と同じで「こんな風かな」と想像していたこととは違うかもしれないが、まぁ、それはどれでいいのかもしれない。そう思えばいい。

育つかなと思ったものがそうでもなかったり、思いのほか大きく育ったり、とても強かったり、そうでもなかったり。

人の顔はそのひとを表すというが、庭もそうかもしれない。うちではよくテレビ番組の「大改造!! 劇的ビフォーアフター」をドロシーと二人でみているが、改造前の小さな、そして少し薄汚れて放置された庭に、かつての何かの思いの名残りが見えたりもする。そんな感傷はこれからの人には無駄だし、不必要だし、こだわっていてもしょうがないものだ。だから、劇的に改造されて、新しい人生を新しい家で始めたほうがいいに決まっている。

だから、庭は過去の痕跡を引きずってはいても過去ではなく、現在からの未来への期待なのだ。そして思わぬときに可愛い花が咲いていたりする。

ヤグルマソウは盛りをすぎ、ツリガネソウ(カンパニュラ)とブルーサルビアが咲き始めた。









マンションに暮らしていたときは、ベランダの洗濯物の邪魔になるからと出来なかったが、今は小さな庭があるので、

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