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「書くことが好きなんだね」と言われて初めて考えた。私は本当に書くことが好きなのだろうか。

書くことを仕事にしている、と言うと「書くのが好きなんだね〜」と言われる。

そう言われてはじめて考えた。
私は書くことが「好き」なのだろうか?

確かに昔から何かしらをずっと書いている。
小学校3年生から日記帳は書いてたし、収益も何もないようなブログもいっぱい書いてきたし、ほとんど誰にも読まれないようなTwitterで呟いてもいる。

でも、「好き」とはちょっと違う気がする。

私の中で「好き」というのは、「ワクワク」とか「楽しい」とか「ずっとやってたい」とか「夢中になっちゃう」みたいな心踊るイメージで、それは「書く」とは全然違うところにいる気がするのだ。

文章を綴っていて「ああ楽しい!」って思うことなんてない。
「ずっと書いていた」「書けるって幸せ〜」とも思わない。

心は踊らないし、どちらかというと「産みの苦しみ」の方が大きかったりする。

じゃあ一体私はなぜ書くのだろう。書き続けているのだろう?

一晩考えた(そんなに考えなくても)結論は、「わたしにとって書くことは、生命維持のために必要なことである」ということ。

たとえば「これから先、一生どこにも何も文章を書くな」と言われたら、それはものすごく辛い。息苦しい。多分、ていうか確実に病む。

おそらく、いま思ってることとか自分の身に起きたことを、どこかに書いて発散することで、自分の中の平和とか調和を保っているのだと思う。

身近な人に言えないことも、ウェブの世界になら書くことができたりする。

私の書いたものが、読まれてるのか読まれてないのかは分からない。
でも、この世界にいる自分以外の誰かが読んでくれているかもしれない。
それで救われたりしているのかも、しれない。

というのが、一晩かけて出した答え。

決して「好き」ではない。けれど「生きるために必要」なこと。

だからこれからも、死ぬまで私は書き続けると思う。
場所はどこかは分からないけれど。

生きるために、ずっと書き続けると思う。

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