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子供がいない45歳の生きづらさと罪悪感。

Twitterのタイムラインに、たまたまこの記事があがってきた。

ひと口に子どもがいないといっても、個々に背景や事情が異なるため、その思いを一括りにはできない。ただ、子どものいない理由は違っても共通しているのは、一様に「子どもがいないと肩身が狭い」と口にすることだ。
自分自身の中で「もう子どもを持つことはないだろう」と納得していても、周囲から「まだ頑張れる」と望まない激励を受けることや、40代半ばで初産した芸能人のニュースが心を揺らすこともある。

いま45歳で子供がいない私には、この記事に共感しかなかった。
だから、読むのがつらかった。考えないようにしている、避けていることを突きつけられてる気がした。


「もう、私の人生に『妊娠』『出産』はないんだ」

そう思ったのは昨年だったろうか。
生理周期も短くなり、自分の女性としての「老い」を感じ始めたタイミングだったと思う。

若い頃、「いつか私に子供が産まれたら」と当たり前のように思っていた。
「子供の名前はね」「私はママって呼ばれるより、お母さんって呼ばれたいな」いつかそんな日が来ると無条件で信じていた。

でも、そんな日は来ないことを悟った。

「もしかしたら、前世の私は結婚した相手がダメ男で、しかも子だくさんで、自分の時間もなくて、すっごく苦労したから『来世は1人でのびのび暮らしたい!子供なんてもういらない!自由がいい!』そう思ったんじゃないだろうか。だから今世は結婚も出産もできないのかもしれない」そんな風に思ったりもした。

そうでもしないと受け入れられなかった。
正直、つらかった。でも、受け入れるしかなかった。

それでもいまだに、40代の芸能人や、SNSでつながっている人が「この度、子供を授かりました」というのを見ると、胸のどこかがざわざわする。

まだ、もしかして、わたしも…。

結婚もしていないし相手もいないし、そんなのは儚い期待でしかないし、そもそも今の私が本当に望んでいることなのかも分からない。
でも、どこかで決別できない自分がいる。


現代は少子化だと言っても、40代になるとほとんどの女性が出産・子育ての経験をしている。
「結婚して、出産する」これが「当たり前」「普通」だ。

そこから外れてしまったことは、自分が一番分かっている。
親に対しても本当に申し訳ないという気持ちが強い。
私は一人っ子だから、私が産まなければ両親に孫はできない。

35歳の時に、結婚相談所に入って婚活をした。
「結婚したい」という気持ちはもちろんあったけど、それよりも「親に花嫁姿を見せてあげたい」「親に孫を抱かせてあげたい」そんな思いが強かった。

たくさんたくさんお見合いをした。
でもうまくいかなかった。
「理想が高いんじゃない?」そう言われた。
そうかもしれない。でも結婚相手を妥協する意味って何。


いつだったか、こんな感じで「子供がいない罪悪感」をどこかのSNSでぼやいたことがあった。
すると、見知らぬ人から「養子を取ったらいいんじゃないですか?」とコメントされた。

そうじゃねえんだよ。うるせえよ。

50歳になったら、完全にこの思いと決別できるのだろうか。60歳までかかるのだろうか。それとも70歳?一生?
いつか、この卑屈な心も少しは穏やかになるのだろうか。


正直言って、別に子供が好きなわけじゃない。
だけど来世は、自分の子供をこの腕に抱いてみたい。
いまは、そう願う。


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