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1年越しの考察:花束みたいな恋をした


絶対に劇場では見るまい、サブスク解禁するまで意地でも見ないぞ!と思っていた花束みたいな恋をしたを深夜夜更かししながらNetflixで見た。
なんでそこまで意固地になっていたのかというと、周りで映画を見た人たちのレビューを聞いて、ちょうど当時付き合っていた彼と別れたばかりのタイミングで見るのは、余計な感情移入をしてしまいそうだな〜と思っていたから。

ふたりの出会いと大学生活

まずは主人公の絹ちゃんと麦くんが出会ってから付き合って同棲して大学を卒業する前まで。

終電を逃して飲みにいくというありそうでありえなさそうでもある出会いから始まり、「違う違う違う違う〜〜全部ちょっと違う!!!」の連続だった。
お互いサブカル好きで意気投合しているようだったけど、実際に出てくる会話が全部薄っぺらく感じてしまった。きのこ帝国が好きな人は一定数いるし、押井守だって知っている人の方が多いと思う。何が薄っぺらいのかというと、それって初対面である程度趣味が合う人だったら全員同じ現象が起こるのでは…?という会話のスピード感や意気投合ぶりを運命だと言い切っちゃったところ。きっとお互い第一印象で恋に落ちていたはずで、恋に落ちたことに理由なんかわざわざつけなくていいのに、共通の趣味や話題がポンポン出てきたことを『これは運命だ』と恋に落ちた理由にしちゃっていた所がなんかすごく『もったいない』感じがした。共通の趣味や会話の弾んだ話題をカルチャーとして大切に扱うのではなく、恋愛に持ち込むための理由にしてしまった感が否めなかった。

二人で暮らす、フリーターになる、就職する


二人が二人で過ごしている時間の尊さは、二人にしか分からない。当たり前だけど、好きな人と二人で過ごす時間はとても尊いし幸せだしこの上なく満ち足りている。だからと言って、自分自身中心の相手に依存しない自律した幸せをやめる理由にはならないと思う。社会に出ることや社会に縛られることへのアンチテーゼとして二人は二人で暮らし始めたようにも感じて、このあたりから綻び始めている感じも。
なので、絹ちゃんのお母さんが言っていた「社会に出ることはお風呂に入ることと一緒なの」というセリフは、妙な説得力があった。社会に出たことのある人からしか絶対に出てこないこのセリフを執拗に拒絶する絹ちゃんは、ちょっと稚拙だなという印象を与えた。
実際に、ふたりはふたりの幸せのためにフリーターになって好きなことだけをして一緒に暮らし始めたはず。なのに、心のどこかで普通の幸せにはお金が必要で、わがままばかりではやっていられないという常識的な側面も持ち合わせていた麦くん。
「俺、働くよ」って言ってスーツを着て就職活動を始めた麦くんは、キラキラした大人に憧れたけれど、どうやったらキラキラした大人になれるのかを、そのキラキラしていた大人の誰にも教えてもらえずに、荒野を彷徨うことになった大学生そのもので、妙にリアルだった。

就職が決まって働き始めて忙しくて余裕がなくなるにつれて、二人は徐々に相手に合わせることができなくなる。
つ麦くんにフォーカスすると、ふたりの幸せのために残業も理不尽にも耐えられるのに、かつて好きだったものに時間を取れないという状況は暗に受け入れているように感じた。ここで麦くんから感じたのは、本来の彼はそこまでサブカルを愛していな買った可能性が大いにあるなあ、と思った。これは諸説あり。大学生という多分に時間を取れる時期で一時的にサブカルに触れる時間が多くハマっていた可能性が高いなあと思った。絹ちゃんをを愛したい、愛されたいがためにサブカルを愛していたのでは?という二人が出会った当初に感じた疑問と違和感が徐々に答え合わせのように浮き彫りになり見ている側としては非常にスッキリしていく。
そして絹ちゃんも絹ちゃんで、麦くんという人間そのものを愛していた、というより自分が好きなカルチャーを共有できる麦くん、好きなことに打ち込んでいる麦くんが好きなのかもしれないなと思わざるを得ないシーンがちらほら。仕事が忙しくて余裕なくなって、カルチャーの共有ができなくなった時の何もないゼロの、素の状態の状態の麦くんを愛せていない感じがあった。
確かに流れで見ていると麦くんだけ変わっちゃったな…絹ちゃんばっかり我慢してって一瞬錯乱したけど、実際には絹ちゃんが麦くんの根っこまでは好きじゃなかった説が出てきたあたりから、結局自分が一番可愛い一番大事的なスタンスが、こういう自我が強くて自分を貫けるタイプの人間あるあるすぎてそれもいい感じにリアルだった。


別れるのは必然だったし、時間の問題だった


麦くんも絹ちゃんもお互いを好きだった。と思っていたけれど本当はのでその間にあるもの(ここではカルチャー)とそれに酔いしれる自分が好きだったんだろうな〜っというのが私の感想。
個人の中の感覚で言うと愛されることが愛だと思ってて愛することを愛だと思ってないって言う表現になる。
あとはお互いの育った境遇全然違うんだろうなってのが親登場や仕事していく上でどこにか価値観置くのか、みたいなとこで綻びになってどんどん出ていた。
先輩が死んじゃったシーンが別れの引き金になったっぽいけど、独特な価値観持つ人が周りにいた時にその人に対する感情って結構分かれやすいと思っていて、(否定的な意味ではない)多分お互いが先輩のことどう思うかみたいなのも付き合ってるうちに本来気づくはず。それがその人を思うトリガーがないと(今回は死んでしまったのでお葬式に参加することでその人を思い出さずにはいられなかった、という意味でのトリガー)そこに気づかないのもめちゃくちゃリアルでした。

ストーリーの気持ち悪さがあまりに精巧で、世の中の恋愛や若者特有の気持ち悪さをきちんと表現していた


客観的に第三者目線で見てて気持ち悪いなあ…(それはいい意味でリアルだから)と思う場面が特に前半で多かった。けれどそれって、よくよく考えたら恋愛なんて没入しているから幸せであってふと第三者目線で俯瞰してみたら耐え難い描写もたくさんあるだろうから、そういう意味ではエンドロールで坂元裕二さんの名前見た時一本取られたな〜〜と思いました。
1年前劇場公開された時に散々賛否両論あったけど、内容が微妙だ〜と思った人はきっと自分の恋愛を第三者目線で見たことないかそもそも恋愛には没入しすぎず程よい距離で恋愛をできている人かのどちらかなのかな
ちなみにこれを今見たのでこういう感想になっている私ですが公開当時に見たらエモくなっていた可能性も大です。なので今見て良かったなと思います。
どんな恋愛をしてきたかでめちゃくちゃ捉え方が変わりそうな作品。
そんなわけで表現されている描写の薄っぺらさやらなんやらも全て含めて、作品としてはすげ〜上手〜〜となった、かなり極論な個人の感想でした。




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