E29:お願いです、髪を切ってください。
このエッセイは下記の続編になります。
1年以上前に投稿したものです。
この「指名してください」を先にお読みいただきますと、
(僕とご本人との関係性がわかりますので)
幸いに存じます。
今日は「その後」を書かせていただきます。
結局、その美容院にはそれから2年ほど、僕が引っ越しするまで通った。
最後の日、相変わらずSくんにシャンプーしてもらいながら、僕はちょっと考え込んだ。努力を続けたSくんのシャンプーは、どんどん「進化」していた。できるだけ深刻にならないように、Sくんに言った。
「今日で、ここに通うの終わりだからね。今までありがとう」
Sくんはシャンプーの手を止めて、ゆっくりこう言った。
「いつかまた、来て下さいね。その時は源太さんのカットを僕がします」
「頼もしいなあ!じゃあ、約束ね」
「はい。約束です。僕も頑張りますから」
その日初めて、その約束をしたような流れになった。
でも、そんなことは「2回目のシャンプーの時」に僕はもう、心に決めていた。Sくんはもちろん、そのことを知らない。
それから7年後(=今から11年前)
僕は妙な性格で、予定外にぽっかり時間が空くと、何か印象的なことをして、それを「特別な時間」に変えたくなる。
その日も、そんな感じだった。
何の脈絡もなく、ふとSくんのことを思い出した。
そして、急に考えが降りてきた。
(よし、今からSくんに髪を切ってもらおう!)
その時点で、7年も経っている。
一度も会っていないし、消息も知らない。
もし、店を辞めていたら? なんて、一切考えもせず
当然のように(通った当時はなかった)お店のサイトを検索し、
当然のように、スタイリスト一覧にSくんの写真を見つけた。
(ほらね、やっぱりあった!)
うれしかったけれど、驚かなかった。
この人は必ず一人前になる、と思っていたから。
「もしもし、カットの予約を入れたいのですが」
「スタイリストのご指名はありますか?」
「Sさんでお願いします」
(どんな顔するかなあ?)
1人で盛り上がる僕だったが、ふと思った。
(そもそも忘れられているかも?)
まあ、いいや。
それならそれで、面白い。
時間が空いて、ふと考えが湧いて、
ただ、なんとなく、かけた予約電話。
これが、実に「見事なタイミング」だったことを
僕は後で知ることになる。
その時間、美容院では、こんなことに。
受付「Sさーん、新規のご予約入りました」
S 「はーい」
受付「源太さんという方、15時半です」
S 「はーい。………え?え? えと、もう一回言って!」
受付「15時半、カット、カラーで……」
S 「違う! その人の名前!」
受付「源太さん、という方です」
S 「え?え? えええええええええーーっ?」
そんなこととはつゆ知らず、
僕は、もし忘れられていた場合、どんな挨拶を交わせばよいかを考えながら、店のドアをゆっくりあけると、Sくんが「猛ダッシュ」で、飛び出してきた。
源太さーん!いらっしゃいませー!!
美容院でこんな大歓迎を受けることもないだろう。
大きな声に、みんなの注目を浴びてしまう。
恥ずかしい…。
「この人が、あの源太さん」
彼が僕を紹介すると、何人かのスタッフがうなずく。
ん?ん?ん?
源「覚えててくれたんやね……」
S「忘れるもんですか!!」
源「ねえ、『あの源太』って、何?」
S「ああ、シャンプー研修の時、必ず新人に源太さんの話をさせてもらってるので…」
若い人は、究極のこういう時、「語幹」で言うらしい。
(え? ヤッばっ! 恥っずっ!)
使い方、合ってる?
そりゃ、まあ、何年経っても忘れられないわけだ。
「初めてのシャンプー」から9年
ねえSくん、本当に、こんな日が来たよ…。
Sくんは、あの、デビューの日みたいに
少し震えているように見えた。
「もぉ~、今まで何人もカットしてるんでしょ?」
僕がおどけて言うと、彼は静かにこう言った。
「源太さんのカットは、僕にとって意味が違うんです」
「………。」
髪の毛を切ってもらう
ただ、それだけのことだ。
なのに、鼻の奥がつんとして、
こみ上げるものがあって、
……必死にこらえた。
「僕のシャンプー、悪いところがあったら、なんでも言ってください。お願いします!」
あの日、当時20歳の彼は、僕にそう言って必死に頭を下げた。
人には必ず「歴史」がある。
カラーの待ち時間、Sくんが僕の耳元でそっと言った。
S「ぼくのこと、誰かからお聞きになったんですか?」
源「え?何を? 今日はただ直感で来ただけ」
S「来月、ここから転勤するんです」
源「え? 何も知らなかった」
S「ほんと、すっごいタイミングですよ。で、来年には独立しようと思って、いま兄貴と準備してます」
「この人、出世する」
「今だ、会いに行こう」
そういう直感は、ほぼ当たる。
こうして、大事な人との縁は
この直感が冴えに冴えわたる。
ただ、じぶんのことは
さっぱりわからない……。
それから11年後(=今)
まもなく50歳になる僕と、
まもなく40歳になるSくん。
いや、もう、「くん付け」はやめようか。
実際には苗字のあだ名で呼んでいる。
もうベテランなのに悪い気がして
さん付けにしようとしたら、断られた。
「若い頃と同じように呼んでください」
今は
大阪のとある街で美容院のオーナーをしている。
たくさんの弟子を育て、
関西の有名コレクションのヘアメイクを担当するなど、それはそれは大忙しだ。
遠いからたまにしか行けないけれど
それでもいいと、彼は言ってくれる。
「たまに来て下さると、気が引き締まるんです、源太さんは僕の『原点』なんで」
僕は、何もしてない。ただの客だ。
むしろ、Sさんから教えられたことの方が多い。
仕事に向き合うこと。
人を大事にすること。
自分を信じること。
キツイ仕事を楽しそうにやっていたあの頃も、
ベテランになった今も
僕は変わらず、彼を尊敬している。
13日、久しぶりに彼にカットしてもらった。
ドアを開けると、昔と同じように
ダッシュで出迎えてくれる。
僕もまた、彼に会うと気が引き締まる。
「いつも、ありがとう」
お読みいただき、ありがとうございました。
【エッセイ 29】
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