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E91: 人の気も知らないで

あ、そうか、そういうことか!
ある小学校の通用門前で、私はふと気づいた。

ここを転校した後も、大学卒業まで、
たくさん学校には通ったが、

結局その小学校は、卒業こそしてないけれど
「私が1番長く学んだ学校」だった。

もちろん、体感的にも果てしなく長い時間だったけれど…。小学校って永遠に終わらないんじゃないか、あの頃はそんなふうに思っていた。


その小学校には、入学から小6の途中までいた。
仕事で偶然、学校の近くまで来たので、立ち寄ってみた。

きみまろさんのネタじゃないけど、
「あれから40年❗️」

通用門の前に立ってみると、やっぱりしみじみと懐かしさがこみあげた。

40年も経てば、当然、いろんなところが変わっている。でも、当時の面影はいろんなところに散りばめられていた。

実のところ、この「懐かしい」という感情は、我ながらちょっと意外だった。どちらかと言えばしんどい小学校生活だったから…。

この学校に通っていた頃、僕は窓から外ばかり眺めている子だった。興味のある授業以外は、まるでやる気がない、困った少年だった。

朝10時過ぎの「あちら側」の風景。外で動き回る大人たちが、学校よりもずいぶん自由で楽しそうに見えた。

(あ、あの優しそうなおじさん。どこに荷物を運んでいくんだろう。助手席に乗っけてくれないかな。あの人とドライブしたら楽しそうだろうなぁ…)

もちろん「こちら側」は授業中である。
そんなことだから、不得意科目の成績が伸びるわけもない。今さらながら納得した。

学校が「窮屈」だったあの頃…。


通用門の前でぼーっとしていると、転校する直前の、ある日のことを思い出した。
40年前、まさにこの場所で、僕はある先生に声をかけられた。


「あ、先生…」
「源太くん!」

担任ではないけれど、いつも僕のことを気にかけてくれる優しい先生だった。

「転校するんやって?」
「はい…。」

先生はしばらく僕を見つめた後、小さい声でこう言った。

「あのね。大事なことやから。よく聞いてや。この学校が、源太くんにとって、どんなに思い出深くて良くても、次の学校で絶対そんなこと言うたらアカンよ。きっと向こうには向こうの良さがあるからね!」

「は、はい…」
「ね、元気出して!頑張ってね!」


ありがたい言葉である。それは当時の僕にもわかった。だから、最後は精一杯笑って「演技」した。

でも、はっきり覚えている。
あの時、本当は心の中でどんなことを考えたか。

(人の気も知らないで。この先生、何もわかってないんだな…)

先生には、この学校で僕が楽しそうに見えたのかな?
あの時、僕の表情は曇ったのだと思う。
でも、先生はそれを「転校する寂しさ」だと思った。

子供は、大人にいちいち言わないだけで、本当はいろんなことを考えている。
ところが残念ことに、大人になったら、それをすっかり忘れて、無意識に自分の前提を押し付け、子供を単純なものだと捉えてしまう…。

でも先生に、まったく罪はない。
悪いのは、ひねくれていたどうしようもない僕だ。



あれから40年…
先生、お元気だろうか?
無性に会いたくなった。

通用門をぼーっと眺めていたら。
教員らしき人に声をかけられた。


「あの、本校に何か御用ですか?」


私は我に返った。同じ場所でも、今は令和。
私はただの怪しいおじさんである。
慌てて事情説明しながら、心の中で思った。

(もう!人の気も知らないで……)

母校を懐かしく見つめることも難しい。
あの頃、あんなに憧れた「あちら側」は
思いのほか、厳しい世界だった…。



(※写真は、みんなのギャラリーからお借りしました。文章中の学校とは関係ありません)

読んでいただきありがとうございました。
【66日   の   6日目】

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