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ゆっくり深読み 中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』その⑫


前回はこちら





では耳の穴をかっぽじって私の話を聞きたまえ。

今から『転校生』とは何なのかを解説して進ぜよう。



この映画が、サントリー缶コーヒーBOSSのCM『ヘッドライト・テールライト篇 2015&2019』と同じように、フラ・アンジェリコの2つの『受胎告知』から出来ている…

「光の受胎告知」と「コルトーナの受胎告知」から…

本当なのだろうか…


『Annunciation』Fra Angelico
『Annunciation of Cortona』Fra Angelico


大林宣彦の映画『転校生』は、原作となった山中恒の児童文学『おれがあいつであいつがおれで』と全く異なった作品になっている。

原作は、男女が小学6年生で、舞台は尾道ではなく、神社の階段を転げ落ちず、もちろん性的な描写もほとんどない。

しかし大林宣彦は『おれがあいつであいつがおれで』を知った時、すぐさま「これは私のための作品だ!」と興奮し、映画化を即決したという。

なぜだか、わかるかい?



なぜ? さあ… わかりません…


大林宣彦が注目したのは「おれがあいつで、あいつがおれで」という「男女の混同・入れ替わり」のアイデアだ。

そもそも一番最初の人間の男女は「おれがあいつで、あいつがおれで」状態だった。

楽園エデンで神が、眠っているアダムの脇腹から1本の肋骨を抜き取り、それをイヴに作り変えたのだからね。

アダムにとってイヴは「元自分」だし、イヴにとってもアダムは「元自分」になる。


『Creation of Eve(イブの創造)』
Michelangelo(ミケランジェロ)


なるほど…

確かにアダムとイヴは「おれがあいつで、あいつがおれで」と言える…

元々「1つ」だったのだから…


だから、あの宣伝用ポスターなんだな。

意味わかるよね?



分離する際に…

男女が入れ替わってしまったアダムとイヴ…



その通り。

そしてフラ・アンジェリコの『受胎告知』には、「男女の入れ替わり」と「分離した元自分と元自分」が他にも描かれている。

わかるかな?


男女の入れ替わりと、分離した元自分と元自分?

そんなもの、あの絵の中にありますか?


あるとも。これは「分離した元自分と元自分」だよね。



あっ… なるほど…

唯一なる神が「父」と「子(聖霊)」に分離した…

三位一体における父と子(聖霊)は「おれがあいつで、あいつがおれで」状態…



そして、これは「男女の入れ替わり」だ。



大天使ガブリエルと聖母マリアの「男女」が入れ替わる?

そんな馬鹿な話がありますか!


じゃあ聞くけど、あの二人はどんな会話をしていた?


会話ですか?

『カサブランカ』の話の時に解説したばかりじゃないですか。

3つのセリフは上から順番にこうなっています。


Gabriel「Spiritus Sanctus superveniet in te」

Mary「Ecce ancilla Domini fiat mihi secundum verbum tuum」

Gabriel「virtus Altissimi obumbrabit tibi」


日本語に訳すと?


こうですね。


ガブリエル「聖霊は汝の中に降臨せり」

マリア「私は神の僕です。御言葉に従います」

ガブリエル「神は汝と共にある」


ほら。男女が入れ替わってる(笑)


は?


マリアは女なのに「私は僕です」と言った。

「わたしがぼくで、ぼくがわたしで」だね。


あっ… 「僕(しもべ)」と「僕(ぼく)」…

こんなものを混同するとは、小学生レベルの発想だ…


どんなにバカバカしいことでも、それをクダラナイことだと決めつけてはいけない。

世の中の凄いクリエーターというのは、普通の人がスルーしてしまうようなものから面白い物語を紡ぎ出すんだよ。

クリストファー・ノーランが「HOUSTON」と「ひゅ~すとん」の駄洒落から『INCEPTION(インセプション)』を作り上げたようにね。


では、大林宣彦の『転校生』も、そうだと?


もちろん。

そもそも大林宣彦が物語の舞台を「尾道」に移したのは他でもない、駄洒落のためだ。


は? 駄洒落のため?

故郷に恩返しをするためだったとウィキペディアには書いてありますが…

地元の人に「(世の中の人々に忘れ去られてしまった尾道のことは)お前みたいな古里を捨てた人間にはわからない」と言われたことが、きっかけになったと…



お前みたいな古里を捨てた人間にはわからない…

こんなことを言われたら、クリエーターとして黙っちゃいられないね。

というか、これは大林宣彦の「作り話」のような気がするけど(笑)


あの逸話が作り話かもしれない? なぜですか?


古里とは、美しくも ほろ苦い記憶を想起させる場所「楽園」のことだ。

つまり「お前みたいな古里を捨てた人間」とは「失楽園したアダム(とイヴ)」のこと。



え?


そして「古里」とは「尾道」のこと。

「お前みたいな古里を捨てた人間にはわからない」とは「お前みたいな尾道を捨てた人間にはわからない」ということだ。

言ってる意味わかるかな?


大林宣彦にとっての古里は尾道…

意味も何も、当たり前の話じゃないですか…


確かに大林宣彦は上京して「尾道」を捨てたかもしれないけど、それと「尾道」をわからないことはイコールではない。

むしろ誰よりも「尾道」をわかっていた。

大天使ガブリエルと聖母マリアが「尾道」をわかっていたように。



大天使ガブリエルと聖母マリアが「尾道」をわかっていた?

ちょっと言ってる意味がわかりません…


「尾道」は英語で何と言う?


尾道を英語で?「ONOMICHI」でしょう?


そうじゃなくて。もっと頭を柔軟に使うんだ。

クリストファー・ノーランが「HOUSTON」を「ひゅ~すとん」と読んだみたいにね。

大林宣彦は英語を覚えたての中学生みたいに「尾道」を英語に直訳したんだよ。


尾道を直訳? ああ、なるほど。

つまり「TAIL ROAD」ということですか?


ほら、また君は答えを自分で言った(笑)


え?


大林宣彦が、そして大天使ガブリエルと聖母マリアがわかっていた「尾道」とは「テイル・ロード」…

訳せば「主の物語」だね。


主の物語?

まさか…「TAIL ROAD」と「TALE LORD」の駄洒落…


その「まさか」だよ。

「尾道」と「主の物語」は、どちらも英語で「テイル・ロード」という。

だから大林宣彦は『おれがあいつであいつがおれで』を『転校生』と改題し、舞台を「尾道」に移したんだね。


そんな馬鹿な… 嘘だろ…


ちなみに、今は市である尾道は、かつて「みつぎ郡」もしくは「みつき郡」と呼ばれていた。

漢字では「御調」もしくは「三月」と表記される。



尾道は「三月」?

「受胎告知日」は「3月25日」だ…


そして「御調(みつぎ)」とは「おかみ」に捧げる「貢・贄(にえ)」のこと。

だけど「御調」は「賜れた しらべ」とも読める。

言ってる意味わかるよね?


日本では「受胎告知」と呼ぶけど、世界的にはただ「Annunciation」つまり「賜れた 知らせ」と呼ぶ…

イザヤ書で預言される救世主メシアが、神の手によって、まだ男を知らぬ処女の胎に宿ったという、天使からの知らせ…


「尾道」は「Tale Lord」であり、旧名「御調」は「Annunciation」である。

だから大林宣彦はフラ・アンジェリコの『受胎告知』をベースにして『転校生』という物語を描いたんだね。


しかし、どうしてそんな発想が?

山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』を読んだ瞬間に、それが閃いたのでしょうか?


元々「それっぽい」話だったんだよ。

『おれがあいつであいつがおれで』では、男女が「お地蔵さん」の前で「正面衝突」して男女が入れ替わる。

ちょっとフラ・アンジェリコの『受胎告知』っぽいでしょ?



た、確かに…

壁に彫られた預言者イザヤは「お地蔵さん」のように見える…

そして、前かがみで胸に手を当てている大天使ガブリエルと聖母マリアは、激しく衝突して痛がってるようにも見える…


これと同じ発想で書かれたのが、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』だね。

かなり不自然な男女の正面衝突シーンは、フラ・アンジェリコの『受胎告知』が元ネタだ。



信じられない…

この話は本当なのだろうか…


ふふふ。ここまで言っても、まだ私の話を信じないとは。

それじゃあ『転校生』を具体的に解説するとしようか。

まずは映像が「モノクロ⇒カラー⇒モノクロ」と変わる理由について。

いちおう聞いておくけど、なぜだかわかるかな?



映像が「モノクロ⇒カラー⇒モノクロ」と変わる理由ですか?

単純に、男女が入れ替わっている期間を際立たせるためでは?


でもね、モノクロ⇔カラーの切り替わりのタイミングは、男⇔女の入れ替わりのタイミングとイコールではないんだよ。

あの階段から転落して男女の入れ替わりが行われた後、しばらくたってから切り替わるんだ。

冒頭と終盤の入れ替わり、2回ともね。


うーむ… 言われてみれば確かにそうだった…

ではなぜ「モノクロ⇒カラー⇒モノクロ」の切り替えが行われるのでしょう?


簡単なことさ。

3つの「おれがあいつで、あいつがおれで」を表現するためだよ。

モノクロ、カラー、モノクロの3パターンで描かれた「おれがあいつで、あいつがおれで」を。


え?


まず冒頭のモノクロ映像は、エデンの園からアダムとイヴが失楽園するまでの期間を表す。

「コルトーナの受胎告知」に描かれる、モノクロの「the Fall」だね。



冒頭のモノクロ映像は、エデンの園から失楽園するまで…

あっ!



その通り。

「健全なる精神は健全な身体に宿る」

エデンの園で神は、土からアダムの肉体を作り、息(風)を吹き込むことで精神を宿らせた。

これと同じ構造になっているのが、神が飛ばした白い鳩(聖霊)によって、汚れなき身体のまま神の子を身籠ったマリアだね。



そしてアダムとイヴは、どちらも「元自分」同士…

だからお互いの肉体のことを知っていた…

デベソであることも…


しかし楽園時代のアダムはイヴの生理を知らなかった。

なぜならイヴが繁殖可能な身体になるのは失楽園の後。

だから映像がカラーになってから生理騒動が起こる。

あってはならない「生理」が、やってくるんだ…



顔の前で人差し指を上げる小林聡美と、不安そうな尾美としのり…

二人の服の色、そして二人の下に広がる海辺…

そんな馬鹿な…



カラー映像パートでは「手で胸を押さえる尾美としのり」と「赤い布をはためかせる小林聡美」も印象的だ。

見事にフラ・アンジェリコの『受胎告知』を再現しているね。



あ、あの「赤いバスタオル」は「赤いカーテン」を表していたのですか?


どう見てもそうだろう。

小林聡美にあんなことをさせる理由が他にあると思うかい?

あれは文字通り「芸術のため」だったんだよ。


鬼だ… 大林宣彦は鬼だ…

フラ・アンジェリコの絵を再現したいがために、当時17歳の小林聡美にあんなことをさせるとは…


大林 宣彦(1938 - 2020)


芸術とは修羅の道。

己が表現したいことなら、あの程度の犠牲など厭わない。

芥川龍之介の『地獄変』は、その究極の姿とも言えるね。



く、狂ってる…


クリエーターの頭の中というのは、常人には窺い知れないものなのだよ、クリス君。

君の好きなクリストファー・ノーランだってそうだし、宮崎駿も中島みゆきもそうだ。

そもそも、世界で最初のクリエーターが、そうなんだからね(笑)


確かにそうですけど…


これで『転校生』の映像がモノクロからカラーになる意味を理解してもらえただろう。

モノクロで描かれていた「アダムとイヴ」が第1の「おれがあいつであいつがおれで」…

カラーで描かれていた「大天使ガブリエルと聖母マリア」が第2の「おれがあいつであいつがおれで」…

そして、残るは再びモノクロになる第3の「おれがあいつであいつがおれで」…

もう言わなくてもわかるよね?


『転校生』のラストシーン、直線道路…

引っ越しトラックの窓から身を乗り出した尾美としのりが「サヨナラ、おれ!」と言い、どんどん遠ざかってゆく小林聡美が「サヨナラ、あたし!」と言う…

あれは「元自分」同士の「天の父」と「聖霊」…



その通り。

モノクロームとは白黒だけを指す言葉ではない。

「白と黄色」も単色、モノクロだね。


信じられない… 俺はいったい今まで『転校生』の何を見ていたんだろう…


気がつかないのも無理はない。

この仕掛けを見破った人は、これまで誰もいないんだからね。

大林君もこぼしていた。ちょっと上手く作り過ぎたと。


え? 大林宣彦監督本人から聞いたのですか?


そうだよ。

あの世の日本映画業界人の世話役的存在の丹波君に紹介された。

まだ新入りだから、仲良くしてやってくれと。


そ、そうだったんですか… ご本人から直接…


これで少しは私の言うことを信用してくれるかな。

では話を続けよう。

次は、尾道の中で選ばれたロケ地についてだ。



つづく




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