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気持ちの強度、言葉の強度

以前、何かの交流会で「めちゃくちゃお会いしたかったんです〜」と言葉では言っても、しばらく話すと「ああ全然こっちに関心ないのか」と分かる人がいた。その人はみんなにそう言って飛び歩いていた。

自分は本気度が高いときしかこの言葉は言えない。誰彼なくそのフレーズを言える人の度胸は凄い。いや、ひょっとしたらその人にとって「お会いする」の意味が薄まってるのかもしれない。

私にとって大切な言葉をポイポイ出されてしまうと「その濃さでこの言葉を運用する人なのか」と思って、他の言葉もそれくらいだろうと連想する。どんなに素晴らしく美しい言葉を発せられても、それは心の奥からではなく「言っておけばOK」という軽い選択の結果であって、意味はあまりない。

逆に、普段強い言葉を言わない人が使うと、それは本当にそうなんだろうなと思う。いつもより踏み込みたい、強く言いたいという気持ちがその言葉に表れていると思うから。この人にとってとても大切な心の動きがあったのだなと捉える。

社会人なので多少の社交辞令はあったほうがいい。でも最強レベルの修飾をそんなにバンバン使う気にはならない。もうちょい大切なときに出したい。

自分が「めちゃくちゃ会いたかった」と発するのは本当に滅多にないくらいそう思ったとき。普通に会いたかったときは普通に言う。足し引きはしない。そんなに会う気がなかった場合は「会いたかった」と言わずに言葉を選ぶ(笑)

気持ちの強度と言葉の強度が乖離しすぎると、嘘をつくようでソワソワする。というか、それはもう嘘か。嘘はなるべくつきたくない。


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