ブラックショールズモデル

AI vs 生身の人間 - 人の居場所はどこにあるのか?

 標題の式を見てすぐわかる方は、実務に関わった方か金融工学の専門家だろう。これはいわゆる「ブラックショールズ方程式」と言われるオプションの計算式で、権利行使日が1日に限定されている「ヨーロピアンタイプ」の計算に使われる(らしい)。

 筆者がかけ出しのトレーダーの頃、近寄りがたかったのがこのオプションチーム。中途半端に質問しようものなら「勉強してから来てくれる?」と相手にして貰えなかった。よく手を2本使ってV字とかW字とか作りながら話をしていて異様だったが、後になってあれはオプションの利益曲線を表してるのだとわかった。 ↓ Straddleといわれる戦略の利益モデルの1例。

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 1990年代に入って、こういった金融工学の発展から*「クォンツ」と呼ばれる、複雑なデリバティブを駆使する新しいタイプのトレーダーが脚光を浴びた。当時は「打ち出の小槌」的な扱いを受けて、随分持て囃された。まあ、今で言うAIに近いものなのかもしれないが、とにかくトレーダーの環境が一変したのは間違いない。

 当時トレーダーの採用にも関わっていたが、中には国立難関理系大学でロボット工学を専攻していたという大学院卒の人なども面接に来た。おそらく高収入を求めてのことだろうが、当時はあまり珍しことでもなかった。お国で言えば、やはりIT系はインドが強く、さすが「数」を生んだ国である。日本では九九を覚えさせられるが、インドの高等教育を受けている子たちは99x99まで暗唱できるというから、さすがというか何というか。

 筆者が取引を始めた頃、例えば金利裁定取引などは当時では最先端だった特殊な計算機に為替や金利のデータを入力していちいち計算していた。パソコンが普及してエクセルなどが登場すると、マクロを組んだプログラムに為替や金利の情報をリアルタイムで取り込み瞬時に計算できるようになった。絶えず動いているマーケットでは今や必須のアイテム。プログラムの差が収益に直結するといっても過言ではなく、今や投資銀行は装置産業である。

 それではもう人はいらないのか? いやいや実はそうでもない。

 転職した外資系銀行のリスク管理部門に、日本ではオプションの権威と言われた人がいて、デリバティブオプションのリスクについて議論することがあった。金融工学でもカバーできない要素とは何か? 変数として1番やっかいなのは「流動性」(Liquidity)らしい。

 良い実例がある。

 冒頭で紹介した「ブラックショールズ方程式」だが、開発者の1人であるマイロン・ショールズ博士は1997年にはノーベル経済学賞まで取った頭脳の持ち主だが、後にロング・ターム・キャピタル・マネージメント(LTCM)というヘッジファンドを立ち上げ、一時はドル円の買い(円売り)で大儲けして名を馳せた。大手行もたくさんLTCMコピーファンドを立ち上げて、業界では一大ムーブメントとなった。

 それなのに...LTCMは1998年に倒産に至る。決定打は「ロシアのデフォルト」だった。ショールズ博士の回顧録によれば、彼らのモデルの欠陥として挙げられていたのが「流動性」である。ドル円で言えば「売るための円は無限に供給される」というモデルだったらしい。

 「損切丸」はこの「円の供給者」の一部だった。当時は必死で約2兆円かき集めていたが、実務担当者に言わせれば**「流動性が無限なんて、そんなばかな」。銀行の資金供給力には当然限度がある。

 **株の裁定取引をしていたトレーダーも同じようなことを言っていてよく喧嘩になった。「3か月ものをLIBOR(London Interbank Offered Rates、ロンドンで提示されている指標金利。金利デリバティブの決済金利としても用いられる)で1兆円貸して欲しい」。おまけに「お前は何年マネートレーダーをやっているんだ?」「ほら、XX銀行が3か月でオファー(貸出)してるじゃないか」などとふざけた事をいうものだから、嫌がらせをこめて取りにいってみたが、フルアップ(貸出枠が一杯なこと)「そんな事はもうわかってんだよ!何年俺がこの仕事をしていると思っているんだ!」。本当にふざけた奴が多かった(当時はつらかったなあ)。

 学者とかこういう算式や理屈でしかものを考えないトレーダーにありがちなのだが、どうもお金は「LIBOR」という "自動販売機" でボタンを押せばすぐ出てくるものと思っているらしい。つまりロイターなど画面表示してあるものはいつでも存在するという勘違い。実際はお金を貸してくれる「相手」が必要で、貸出枠の金額が設定してある。1兆円を1日で調達するのはほとんど無理だ。それどころか、変な噂が立てばお金など1円も取れなくなる。デリバティブ全盛のころは、いつの間にかデリバティブトレーダー出身者が投資銀行の幹部になることが増え、「流動性」軽視の風潮が蔓延していた。

 仮にも「流動性」の専門家でもあった「損切丸」の意見はこうだ:

 どんなに優れた理論やモデルでも、人が作った物である以上「人の判断」の域は超えられない。売買いや貸借りの最終執行を人が行うなら必ず気持ち=感情が入る。特に***予想外の出来事やパニックが起きた時は顕著だ。心理の萎縮は「流動性」の欠如を招き、理屈通りに取引ができなくなる

 ***例えるなら、車のナビを無視して走ると機械が黙ってしまったり、「地図を参考にして下さい」などと言い訳(笑)することだろうか。確かにコンピューターやAIは、記憶力や計算能力など人を遙かに凌駕する能力があり、例えばもう将棋で人はAIに勝てなくなってきている。それを利用することは重要だし、現代では生活インフラにもなっている。ただ、人間はもっと複雑。実際人間自体ををマシンで完全に代替出来ていないのだから。

 例えばロイター画面などに出ているドル円はいつでも取引出来ると思っているかもしれないが、パニックになればほとんど取引出来ない恐怖心からみんな取引を止めるからだ。LTCM破綻の時は20兆円もの「損切り」が一気に出て3日で25円落ちたが、その間の取引量は極めて少なく損失を限定できたトレーダーはほんの一部。リーマンショックで多くの銀行が資金繰りに窮したのも同じで、潰れるかもしれない銀行に無担保でお金は貸さない。これらは全て最終的には人が判断を下した結果だ。

 最近では「市場心理学」などもできていて、マーケット混乱時の研究も進んでいると聞く。しかしパニックのパターンも毎回毎回替わっているので、今後も「適正な判断」をできる人の能力は必要だろう。

 ちょっと長くなってしまったので、続編を別の稿で書いてみる(続)。

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