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2019/2/16 森里海シンポジウム

今日は久しぶりの長丁場シンポジウム
久しぶりに7時目覚ましで起きる。
掃除洗濯

朝ごはんは残りを冷凍したグラタン。あと1個ある。
10時京大なので8時半には出たい。
急いで用意して外出。

百万遍の手作り市には行ったことがあるが、京大に入ることはなかった。
四条河原町についた時点で10時前。
京都のバス停がわかりにくく彷徨う。
乗り込んで百万遍についたら10:20頃
降りたところのコンビニでご飯調達。
そこからグーグルマップで6分だったので、
店員さんに『京大は左に曲がりますか?』と聞く。
右を指して『そこです。』目の前にあった。

会場に行くとすでに研究報告(インスピレーションセッション)が始まっており、二人目の半分聞けたかな?というかんじだった。
それを受けてワークショップ。
まずは2人でだが、わたし達は3人。

インスピレーションセッションほとんど聞いていないのでよくわからないが、少し聞いた中で思ったことを話す。
私のグループは大学教員と京都市行政の3人。
その後4人(私達は5人グループになる)高校教員と現場農家が加わる。

今日のシンポジウム期待すること。
私→
①問題に取り組む時に誰と協働してどう解決へと導き出すのか?
②今回の取り組み(頭のいい人たちがどう取り組んでいるのかを知りたい)を他分野の問題へ活かす方法を学ぶことを期待しに来た。

行政の方は行政としてどう取り組むか。
高校教員は学生を連れて来た。学生の学びの提供。
農家の方は森里の取り組みを農業に取り入れることができるか?
など、目的を持って来ていた。

シンポジウムは自然の生態系を人間が手を入れ過ぎたことで地球の危機を招いたのであれば、後世に残すことなく私達で何ができるか?という内容だった。 

また、8校ほどの高校生の研究ポスター発表があった。

私たち福祉業界で良く用いられる“レジリエンス”
という言葉がここでも出てくる。
潜在能力をどう引き出すか?この“レジリエンス”のワードで私はここに参加することにした。

他職種の人間が同じく再生、創生に向けてどう取り組んでいるのかに興味を持った。

今回はワークショップや質疑応答の時間をしっかり設けている参加型でありたくさんの人の意見を聞くことができた。

シンポジウムに参加して私が感じたこと
自然の問題に早く取り組まないと生きづらさを感じる人が増えるのではないか?
私たち精神障害者はすでに生きづらく、できればこれ以上問題を増やしたくはない。
私達が自然の問題を実感する前に、“真剣に取り組んでいる人間がいる”と目に見える形になっていることが不安を少し回避できるのではと考えが及んだ。

最後の質疑応答で
『ここに参加している方でこの学びを取り入れて実践しようと思っている人は?』『私は怒りを感じるというか、私は実践するために話を聞きに来た。そうでない人はなんのために来ているのか?勉強しに来ただけなのか?と聞きたい。』『(シンポジストに向かって)京大の先生方はどう思うのか?』とわーわーゆう。

(知らんがな〜あんたの思いなんて。みんなに強要したり押し付けたりするほど腹が立つならやらんかぅたらいいねん)と私は思った。

今までいい感じで盛り上がっていた会場に水が刺された。みんな(何熱くなってんだか)とシーンとしている。私と同じように思った人は多いと思う。

私も実践しようと思っている一人だが、やるもやらないもその人次第、しかも準備がいる人もいる、聞きに来て自分が家できることでも持って帰ろうと思っている人も、このことをきっかけに考える人、誰かに話す人など、ひとそれぞれのタイミングややり方があるだろう。
シンポジウムに興味を持って足を運んだだけでも興味を持っている訳だし意味があると思う。

司会も会場に質問するの?と困っていたし『報告された方々は京大の教授ではないですがどうします?』と困っており、この会の企画者が発言することになり「基本的には勉強会です。」と回答する。冷静に対応していて流石だなぁと思った。

色んな意味でいいシンポジウムだった。

昼食を買ったが学食があれば行こうと思ったが、土曜日は開いてないとのことで買っていって良かった。

最後にアンケート
生きづらさを抱えている人(精神障害者)は社会や環境の変化に影響を受けやすい。私達に何が困っているかを聞い欲しい。

そこから問題が精査されるのではとコメントして帰った。

道中は明日返却の本を読んだ。

もう読み終わります。

帰宅は17時前。
夕食は鍋でした。

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