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おみくじ凶奏曲


わたしの凶歴




最近は年始に一回、もしくは、プラス1回あるかの年間おみくじ回数だが、これまでのトータルだと結構引いている。

夫と結婚前後は、二人で週一で一眼レフを持ってあちこち散歩をしており、
そこで出会う寺社仏閣でつい引くことで、回数を重ねていた。

本来はそんなに引いちゃいけないみたいだが。



その結果というか、凶を引く確率も増えるわけで。


凶が出た時は、反則だろうが、つい二回目を引いて(さすがに二回連続凶はない)上書き作戦をとったこともあるわたしだ。(小モノなので)



一方で、凶を出すこと自体が厄落としじゃない? もう、上がるしかないんだよね的ポジティブ発想も捨てがたかったりする




凶のうち2回は、同じ友人たちとのお出かけだった。


その一つは埼玉 本川越の喜多院。

二十年近く前、大厄の厄払いで護摩焚き参加後に三人で引いた。

筒箱を振って出た棒に記載された番号の小引き出しを、自分で開けておみくじを取り出す形式だ。

二人が「厄払いの威力すごい!」と揃って大吉を出している横で、自分の小引き出しを開けて飛び込んできた「凶」の文字に目を疑った…。

うっそ。


それから同じメンバーで柴又帝釈天に行ったときも、わたしだけ凶。

しかも動揺しつつ、そのおみくじを境内で結び付けようとしていたら、ビリっと二つに割ける始末…

「おからは、太く短くでいいんじゃん」
などと、慰めにならない言葉に苦笑しかなかった。



凶が多いと有名な浅草寺でも二回出しているし、幼い娘を連れて行ったときは娘が凶…。



納得がいかない「凶」もあった。


遥か昔、中学生くらいの頃に家族で行った旅行先。
そこで引いたおみくじだ。


そこは自分で筒を振るのではなく、お金を払うと目の前のお寺の人?が振って棒を出すのだ。

そして、そこに書かれた番号のおみくじをペラっと渡される。


自分でひかない、そのこと自体にあっけにとられている間に、差し出されたおみくじにとかって…、どうなの?


我に返ってから、それはわたしでなく、「(くじをひいた)おじさん」の運じゃないんか?!と、行き場のない声を挙げたくなる出来事だった。


そこは、自分の記憶では某有名観音寺なのだが、少なくとも今はそのような形式ではないようだ。(が、大凶が多数で有名ではあるらしい)


その他にも凶を出したが、詳細は覚えていない。

また、凶を出した年に、そのことと結びつけて「これか…」と思う出来事があった記憶はない。

ちなみに先の喜多院では、昔、伯母が飛行機で北海道に帰る前日に凶を出して少しばかり焦ったが…。

つい「…あたしも出したことあるから、大丈夫!! …もう一回引く?!」とかフォローして。(伯母さんは二度は引かなかったが)


*   *   *   *   *   *


おみくじも色々な種類があるが、毎年の初詣の氏神様のおみくじは、箱から折り畳まれた紙を一枚引く形式だ。


大吉でも、え゛?! と思うほど、先行き不安なことが書かれてあったり、小吉でも、心してかかればすべて良し、みたいな大円団予想があったりで、面白い。


また、大吉などと記載の欄の下には、和歌とその解説?的なものが書かれているのだが、それを読むのも好きである。

和歌は自然と人生をシンクロさせるようなものが多く、視野も心も少し広く持てる(気がする)。


と、そんなわけで、新年一本目のこのnote記事、今年の初詣のおみくじは大吉であったことを記しつつ締めたいと思う。

でも、心は素直に、身持ちも正しく、欲を手放し、人につくした上での思うまま」って魂のレベルが問われる感じ…。



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