読書から得たもの「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第15回

財布をはたいて
 「読書は、私の人生での最大の嗜好の一つである」-池田の読書については,かつて学生部の機関紙「第三文明」に、「読書ノート」と題するメモが連載されたが、その後池田は戸田に師事した二十歳過ぎから、仏教関係の書をはじめ、西洋哲学、文学書 、歴史小説、東西の偉人伝などを数多くの書を読みこなしている。
 池田の日記には、いたるところに「××読む」と書名が書き留められている。生活自体が楽でない時期でも、本を買うために財布の底をはたき、図書館にも行った。どんなに忙しい時も、どんなに疲れて夜遅く下宿に帰ったときでも必ずといってよいほど就寝前に本を読んでいる様子をみると、読書は彼にとって生活の一部ともなっていたようにさえ思える。
 というのも、あるとき、戸田に「読書する時間がない」といったところ、「電車の中と寝る前の時間をつかって読書するように」といわれたからのようだ。以来、「もっと勉強せねば」「うんと本を読まねば」とみずからにむち打つのである。
 日記に「来年は一年に五十冊を目標に読もう」とあるのをみつけた私は、その結果がどうなったかを池田に聞いてみたことがある。「いやー、十七、八冊で終わりでした」そうだが、とにかく懸命に読んだあとがうがえる。
 兄弟の目からも本の虫のように見えたのだろう。池田について取材したある作家が、池田の実兄に、池田がどのくらい本を読んだか聞いた際、
大まかに「千冊ぐらいでしょう」と教えた。
 だが、兄からそれを聞いた池田は「そんなに読めるものではない。読んだとしても百冊位なもの。いい加減なことをいわれては困るネ」とすぐ訂正するよう兄に頼んだということだ。いきなり一桁下げたのは謙遜としても、池田の人柄の一端がでている話だと思う。

歴史に学ぶ
 こうした青年期の読書が、池田の人間形成に少なからず影響を与えてきたことは、想像にかたくない。とくに、歴史に関するものを好んで読んだようだ。池田の著作に、演説に、詩に、指導に、人との会話の中にも、史実や登場人物の生き方が、今日の問題と関連して生かされてでてくる。私など、池田と話すたびに、その面で胸中不勉強を恥じざるをえない。
 「大事は史観なり」とは戸田の教えであったが、彼は歴史書の中から時代の流れと人間,そして知識を生かす知恵を学びとった。池田の時代に対するするどい洞察もそうだし,人間のもつ醜さ、美しさ、つまり人間をよく知っている点、そして時代への適応能力にすぐれているのも,歴史について多く学んでいるためであるように思う。
 書物の中でも、日蓮の「御書」は若い頃の池田にとっては、かなり難解をきわめたようである。日記に「御書を拝読。全く、難しい」と記されているが、池田はゲーテ、ハイネにしても,バイブルを読み切っていたからこそその作品に確信が反映しているのだという。彼自身も戸田について何回となく「御書」を精読し、思索しかつ実践した。そこから日蓮の思想、哲学とその現代生活への適応に確信をもつようになったのだろう。

読後感想録
 池田は「ほんものの血肉にしたいと思う本は、二度三度と繰り返して読んだ」と語っているが、「日記」に書かれた読後の寸評、感想、最近の随筆などからいくつかを拾ってみるとー。

トルストイ「日記」
偉大な文学者たりとも、生涯苦悩の連続だった。所詮,人生において最究極の道をゆくためには、求道者は限りない努力をするものだ。(日記)

小林多喜二「独房」
左翼作家の苦悩がありありと解る。思想のあやまちの結果のきびしき運命をおもう。(同)

三国志
構想雄大なり。人心の機微をよく描け。大戦乱に活躍せし武将、政治家の一大絵巻の感あり。策あり、恋あり、涙あり、意気あり、力あり、教訓多々なり。建設、革命の青年、劉備玄徳の姿ー。(同)

デュマ「モンテクリスト伯」
読書は智恵も、知識も、指導力も、それに 御書の読み方にも力を与えてくれる。思うこと多し。(同)

「織田信長」
勇猛なる将、明晰なる頭脳、男性の本望たる活動。(同)

ユゴー「九十三年」
感多し。わが国でも彼の如き大小説家の出現を望んでやまぬ。大哲理、大思想、大宗教に立脚せし大文豪はいつの日か出でなん<略>(同)
ホール・ケイン「永遠の都」
革命に大別して三種類ある。すなわち政治革命、経済革命、宗教革命。<略> 吾人の断行せんとする革命は本源的な宗教革命なり。すなわち真実の平和革命であり、無血革命なり。(同)主義主張のため死をも共にしゆく生涯の同志、友愛はまことに稀である。主人公ロッシ、プルーノの如くでありたいものだ。彼らは死刑の直前まで同志を信じ切って戦ったのである。(人間革命)
これらの本に対する池田の印象は、
「若人よ起て、若人よ進め、若人よ行け。前へ前へ。岩をも怒滴をも恐れずに。ロ ッシ の如く、ブルーノの如く、ナポレオンの如く、アレキサンダーの如く、ホイットマンの如く、ダンテの如く」(日記)の決意にも現われている。

「草の葉」と対面
 池田はある雑誌に「一冊の本」と題する随筆を書いている。アメリカの詩人、ウォルト ホイットマンの詩集「草の葉」についてだが、
「この世で最も風通しの悪いものを一切憎み、未来の建設に汗を流す人々の美しさを歌った」
 この詩にふれて自身の青春を回想している 。
「敗戦後の占領下にあって、一人の貧しい青年であった当時の私は、この詩集とのめぐり合いを、いまは懐しく感謝している。私は、その頃の騒然たる灰色の風景のなかで、この書によって、未来を展望する術を知った時、感動は愛着に変わった!私は好きな詩をいくつも暗誦し、深夜家路をたどる時など、思わず小さい声で朗誦もさえした。ある時は、疲れた体を,神宮外苑の芝生の上に投げ出し、手にしたこの詩集に読み耽った秋の日もあった。私にとって、生涯忘れがたい一冊の本である」
 その何編かは「若き日の日記」にもひき写されているし、私は池田が本部幹部会における講演の最後に、ホイットマンの詩を朗読したのを聞いたこともある。青年時代の池田に、勇気と希望を与えたこの一冊の詩集は、今なお、池田を励ましているのだろう。

版画の思い出
 私は読書について池田にたずねたことがある。
特に感銘の強かった書は―

ユゴーの「九十三年」。人道主義の面から「レ・ミゼラプル」。デュマの「モンテ クリ スト伯」。友情が描かれたケインの「永遠の都」。「新平家物語」。作戦の上からは「三国志」。それに「天草四郎」。ホイットマンの詩集など。

著者では―
トルストイ、「戦争と平和」にしても人間の苦悩が滲み出ているから。石川啄木、東北出身の人は、風土の影響もあるだろうが、自分と戦う姿がいじらしい。思想家では、エマーソン、モンテーニュ、それにニーチェ。
そこにあるのは様々な人間の心を描き、あるいは未来への明るい希望に溢れた作品。自分の信念に生きた登場人物。そして自己ときびしく対決して苦悩した作者である。
 とりわけ、「レ・ミゼラプル」は愛読書の筆頭にあげられるものだ。「一枚の絵」という池田の随箪がある。昭和三十五年秋、ヨーロッパ旅行の折、パリで買い求めて以来ずっと自宅の壁に掛けられている、一枚の色彩のエッチング(版画)について書かれたものだ。
 池田にとってパリを舞台とした「レ・ミゼラプル 」との連想から、このエッチングに描かれた若い男女が、いつしかジャン・バルジャンに結ばれるマリウスとコゼットになぞらえて眺められるようになっているという。

「レ・ミゼラプル 」-パリ― 一枚のエッチング―「マリウス」と「コゼット」- 額の中の絵は、この連想の糸を堅く結んで壁に掛っているのである。
池田は「きっと生涯側に置くだろう」と書いているが、池田のロマンティストの一面をのぞかせておもしろい。

読書の指導
 読書から多くを学びとった池田は、学会員とくに青年たちに対して、
「謙虚な心で青年期により多くの知識を吸収することが大切だ。教学を中心に、一流紙、一流雑誌、あらゆる本を読んでもらいたい。全部それが自分の将来の財産になる」
 「一日二十分、必ず読んではどうか。一年たてば大変な力がつきます」
と強くすすめている。池田自身、読書の習慣は今日も変わりないようだ。周辺の話によると読むスピードがめっぽう早いそうだが、これは長い間の訓練によるものだろう。
 池田は学会員に対する指導の中で、本の読み方について次のように具体的に指導している。

一、著者、作品が何をいわんとしているか、何を指針としているかを読み取ること。
一、一書を深く読むこと。
一、自分の専門分野や特に好きなものを更に深く吸収し、その分野のオーソリティとなること
一、一流新聞、一流雑誌を読むこと。政治経済社会全般にわたっての知識の宝庫であり、世界の鏡であり、常識の基準となるからだ。なお、いかなる本を読む時も最初に“はしがき”“序文”を読むこと。そこに著者の意図及び思想が要約されている。
 また「読書力をつけるため、多量に、それも古典や、後世にのこる大作品を読むこと」をすすめるが、これも彼が「新時代に生きる指導者として、あらゆる知識を充分身につけていこうとする努力それ自体が前進であり、仏法を信ずる者のあり方だ」と考えるからにほ かならない。