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眠れないとき、溜まった思考と対峙してみる

子供の時から、一度何か考えると寝れなくなる事が多かったと思います。
思考がいい方向にいくと「何かを作りたい」、「始めたい」と言う気持ちに変わるし、悪い方向にいくと、「無駄だった」「意味がない」とより眠れなくなるのです。

随分昔、あまりにもマイナス思考が強くなり自分自身で心底うんざりした時がありました。

聞こえない声がする。といった方が良いかもしれません。誰かが問いかけてくる。その度に思い出したくもない事を思い出し、また問いかけられる。

どうしたものかと悩みながら、気を紛らわす為にいつも使ってるクロッキー帳に、脈略もなく図形を描き始めたのが今でも習慣になっています。

頭の中に浮かぶモヤッとした感覚を、四角や三角、波などで書き出していく。ここには意味はなくて、一番簡単に実装できる脳内クリーンの役割があるように感じます。

眠れないときの思考は、頭の中に中途半端に置かれた感情の断片。向き合うより無理にでも吐き出した方が安心できるのです。

中高生の時に流行った(2000年代)「携帯小説」や「携帯ホームページ」も似たような動機で、どちらかというと作る側でした。一日の複雑な感情や記憶の断片をひたすら文章にしたり、グラフィックに起こしたりして自分そのものを維持しようとしたように今では思えます。

私にとって何かを「作る」と言うことは、「誰か」の悩みを形にしたり、答えること。それは今も変わっていません。

そして、その「誰か」に、凄く引いて見た「自分」が入っていたりするのです。

オンオフを切り替えるように、自分自身で考える時と、自分を眺めて考える時を交互に切り替えてみる。

この2つの思考を交互に切り替える事は、出来るだけ自分をニュートラルな状態を保ち、毎日の小さな変化を逃さないようにする為に、自然と身についた生存戦略なのかも知れません。*

取り留めのない記事を、ここまで読んでくださり有難うございました。それではまた。

眠れないときに描いた、様々なカタチ