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境界性パーソナリティ障害と言う生き方


境界性パーソナリティ障害
それは真綿で自分を苦しめているそんな障害だと思う。

他者にとっては何ともない事象。
しかし、境界性パーソナリティ障害の人間にとっては一発触発の激情で生きる事にリアリティが見いだせなくなって自傷行為にも繋がり、時に死が近くなる。

自分で自分を追い込む生き方に近い。
0か100の結論が出ないともがき苦しんでしまう。
いつの間にか成長する間に首に真綿を巻き付ける。
激情の度に自分で瞬時に首を締め上げる。
自分に包みたくて柔らかくしているつもりが、恐怖の優しさで自己を失い、哀しみや怒りに襲われる。

自分にコントローラーが無い感情。
結果論を見い出せる内は生きられる。
それは結果を知れたから。

自分で予測を立て、安心感を大切にする。
自分のコントローラーを保持する意識を持つ。
泣く自分も喚く自分も受け止める。
受け入れ困難な自身は書きなぐって、受け入れ困難な自身だと受け止める。

出来ない事は出来なくていい。
受け入れ困難な事は困難でいい。
大抵は他者の問題だから。
他者の問題は他者自身の問題。
困ったら第三者を交えると落ち着いたりする。

生きる。
いつかは死ぬのだから。
急速に死が必要となったら、仕方ない。
でも、諦めず法を犯さなかった自分の今を肯定出来たら幸い。
例え過去に法を犯していても、今回は自分を保てたのだから。

苦しみの先には必ず和らぐ自分が居る。
選択肢があればあるほど和らぎへの道がある。

例え話でグレーゾーンを学べと言う方が居る。
でも、それが出来なくて苦しむのが境界性パーソナリティ障害。
0か100なら、なんなら0から100迄の数字を得ればいい。
グレーゾーンの50だけを見なくても、それ以外をも気付けば手の内の選択肢に持てるから。

若い時は一気に物事を得れる。
例えば強烈な映画や長編小説や難解な哲学書をその日にこなせるように。
けども年齢を重ねたら他のアプローチ法を知れたりもする。
途中で止めたり、少しずつ読む。
気付けば時間をかけてこなせる。

乖離した自分も、自分は乖離したのね、そう受け止める。
環境に苛立ったらその原因を解決出来るかに心血を注ぐ。

乖離が悪いのでも悲しまなくてもい。
苛立つ感情はにんげんだもの、怒っていい。
但し、他者へぶちまけなければ。
そう、無問題。

人間と人間で対立するから辛くなる。
消えたくなる。
そこを自分だけの気持ちで深める。
時間も取ってみる。
繭の中に居るみたいに籠る。

アタイは今、俄然、籠り中。
一人暮らしで身よりも無いと完璧に引きこもる事は難しい。
それでもなのだ。
時間も感情も自分だけにしてみる時を大切に出来るメリットは偉大だ。

いつか繭の外に出るかもしれない。
繭の中で生涯を終えるかもしれない。
今分かって居るのは、それを今、結論付け無くても良いと言う事と、その結論付けが今、出来ない事に不安定にならなくても良いと言う事だ。

生と死を天秤にする。
その瞬間迄をも頑張らなくてもいい。
焦らなくてもいい。

愛されていなかったとしても
冷たい人だと言われても
惨い最期を迎えたとしても
自分がきちんと意志を持って選択してきたひとつの結論で有れば、自分は幸せだ。

今はそんな事を考えます。
20年と少し前とは明らかに違う考えです。
愛され、優しい人と思われ、温もりある最期を迎えられなければ絶望だから、だから総てに一所懸命でしたし消えてしまおうとも真剣でした。

境界性パーソナリティ障害は治るとは考えておりません。
きっと寛解と言う単語の通り、症状は軽くなるかと想像します。
しかし、きっと見捨てられ不安は永遠に付き纏うでしょう。
それによる自己コントロールが死を近付け無くなる方法等の選択肢を幾つか持ち合わせられる様になるとは考えられます。

禁じで自己を固めなくていい。
例え死を近付けてもいい、その位の心の持ちようでいい。
あえて禁じを身に付けるなら、他者を巻き込む傷付け方をしないこと位。
アタイはそんな風に考えます。

全ては自分次第なのだ。
そう思える事が寛解への一歩一歩かと最近考えております。

例えばの動画を以下にポストします。
今は亡き境界性パーソナリティ障害、今後はボーダーラインパターンの心理模様を感じて頂けたら幸いです。
(アーティストと障害名への正しい関連付けはございません。)

❋感覚
(中島美嘉/僕が死のうと思ったのは)
❋もがき
(LUNA SEA/MOTHER)
❋寛解
(LUNA SEA/UP TO YOU)

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