見出し画像

隣の芝生がブリリアントグリーン

やっぱりどう考えたって、隣の芝生はいつだって青い。

自分のお庭も、手入れして整備して、自分なりに一生懸命育ててるつもりなのですが、どうしても比べちゃう。

ああ、お隣さんの庭はキラキラしてるなあ。太陽の光を余すところなく反射してる。輝ける緑だな。彩度の高いこと。お友達もよく訪れるみたいで、いつも賑やかだな。眩しいなあ。

比べなくていい、わかってるんだけど、「私の庭は」って思っちゃう。「ちょっと、くすんでない?」
「いやいや、そんなはずないよね、だってこうやって毎日ちゃんとお水をあげてるし、綺麗に手入れしてるよ」
「それでもやっぱり、隣は眩しいなあ」

どんな人にも「羨ましいな」って思っちゃう。「他人の中に光を見つけるクセ」という意味では、ある種いいことなんだろうけどね。なんだかもったいないなあ。自分のお庭も、十分美しいよ。

最近よく友人と「隣の芝生って青いよね」というお話をします。もう大半の友人が「わかる〜!」「青いわ…めちゃくちゃ青いわ」などと肯定してきます。

最近、15年ほどアニメーターのお仕事をしてきたという方とお知り合いになったのですが、「マイコさんはなんでもできていいですね。仕事が選べますね。私は絵しか描いてこなかったから、潰しがきかないんですよね〜。絵を描くのはほんとに好きなんだけど、次の仕事、どうしようかな」と言われて、「いやいや」と!

そんなに一つのことに夢中になれる人、器用貧乏の私からしたらむちゃくちゃ羨ましいです。私は、ある程度のことがそこそこできるだけで、「突き抜けたもの」を持ってないのです。パラメータでいうと、丸い円状。どこかのステータスで尖りたい。

必死こいてその「何かひとつ」を探している私からしたら、「もう絵を描くのが楽し過ぎてずっと描いてる」とか言ってる人はただただ羨ましくて、眩しいのです。

みんな自分の魅力に全っ然気づけてないんだよね。もったいないなあ〜。

あ、もしかして私もかな!?!?
おかしな話だけど、誰かにとったら私のお庭も「羨ましきブリリアントグリーン」なわけで。

みんな、「今、ここ」に注目しよう〜!もったいないよ、目の前のご馳走を見ずに「隣のごはん、おいしそうだなあ」だなんて言って眺めて。ご飯が冷めちゃうよ。それだって十分においしい。十分幸せ。味わって食べましょう。味にパンチが足りない?胡椒をかけちゃえ!

きっと、そういうことですね!

…と頭ではわかっていても、「比較するクセ」はやめられない止まらない〜。おそらく「比較」自体は悪いことではなくて、「自分を卑下しちゃう」ところに問題があるんだろうな。

「わたしと小鳥と鈴と、みんなちがって、みんないい(金子みすゞの詩より)」のです。

みんなちがって、みんないいな〜って言ってたら、隣の芝生だけじゃなくて、自分の芝生も青々と輝いて見えてくる気がする。

他とはちょっと色合いが違うけど、これはこれで。素敵なお庭だ。味があるね。唯一無二だよ!人はあんまり訪れないかもしれないけど、草をかき分けてみるといろんな虫が住んでて、生態系が豊かかも。

とりあえず、他人が羨ましく感じて落ち込みそうになったときは、金子みすゞさんの魔法の言葉を唱えるようにしてみます。みんないいな〜。

結婚しててもしてなくても、仕事がうまくいっててもそうでなくても、才能があろうがなかろうが、美人でも普通でも。みんないいな〜。多様性が楽しい、愉快な世界です。

マウント取って相手を落ち込ませてくる人は本当は友達じゃないし、もしかしたらそれってただの被害妄想かもしれないし。どちらにせよ、それほど気にすることではないですね。そんなことにとらわれていてはもったいない。

みんな、ちゃんと魅力的ですよ〜!安心して!(私含む!)

といったところで、終わります!
今日もよき日をお過ごしくださいませ〜〜☆彡

心を込めて書いた文章に価値を感じていただけたなら、これほど嬉しいことはありません。なにか自己研鑽や創作の糧になることに、大切に使わせていただきますね。