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私は何者か、397


層が幾つも重なっている。地殻変動ではなく、似てはいるけれど、それは思考の話である。前にも書いたことがあるが、普通の仕事としての思考。そして、その時々に同期して、その時々の細やかな別の思考の配置。たくさんの層が重なり合って、自らを作っている。
一寸先は闇。も、素晴らしき自戒のことばとして、わたしは受け取るのである。わからぬから考えるのか。わからぬということをわかるために考えるのである。


畑のトマトに触れると、青い匂いが漂う。
この匂いが、トマトの味を連想させる。けれど、この頃は種類によって、匂いが味や風味を左右しない。青い匂いの甘いトマト。
相変わらずの皮の硬さよ。栄養云々、が、口あたりも大切であろうやと。
お庭の畑にアイコが成る。アイコとはミニトマトの種類であるとか。ちょっとここら辺では高名な苗屋さんで買い求めたものだ。まだ固く青い実が恐ろしいほど付いている。欲しい人を探しておいたから、その人に差し上げる。待っていてね。


困った人たちは、恥ずかしいほどにすぐにわかる嘘をつき、事態を延ばし、それこそを手柄のように感じるらしい。放置すれば、やがて、己の上に、得体の知れぬ錘が降るというのに。もう、わかっている。同様な同感を同義的に同調するため。嗤う。
スカートの丈はどれくらいか、マリークワント、ツイギー。誰もがやらないことを、気を衒うのではなく、前からそこにあったように奏でる。うまくやることなど我らには求められてはいまい。望まれてすらいないのかも知れぬ。ただそのままでいることが最大の誉。時が経てば、みんな、さよならよ。いただいたものをすべてお返しして、手のひらをパーにして、振るんだ、さよならと。


待ってくれる人のあることが、救いなら、それは幸せの逆説。

むしろ、誰を待つ。

待つ人のあること。

その、幸せ。


ふつうの岸に屯する、

オタマジャクシ。



ほら。


わたしは何者か。




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