表現する者は『聖域』を持ってると思う。

昨日のnoteを1度下書きに戻した。なんか、納得がいってなかった。こう、なんというか足りない気がして。自分でもこれは褒めてあげられなかった。表現者(笑)は大変だ。


表現をすることは好きなのだけど、実は褒められたりするのが、結構苦手だ。
いや、嬉しいのは嬉しい。
スキはめちゃくちゃ嬉しくてニコニコしてます。

具体的に言葉で褒められた時の話。
もちろん嬉しいんだけど、褒められた瞬間に「私への期待」も生まれている気がする。相手からしたらそこまで考えてないかもしれないけど、私は期待されていると勝手に生み出してしまう。
褒められたから次も褒められることをしなければならない、と思う。


同じように、応援されることも苦手だ。応援は褒められるより「私への期待」を感じる。
その期待に応えろと、私は私をけしかける。


それって、あんまり良い事じゃなくて。モチベーションになる人もいるかもしれないけど、私には他人の目というプレッシャーになって。逆にどんどん自由度が下がっていく。広かったエリアが縮小されていくみたいに。


私が自由で解き放たれているためには、もっと自信を持つべきなんだろうなーと常々思う。
ここは『私による私の表現が許されている聖域なのであるぞ』という、ちょっと過剰気味なくらいの自信。
それがちゃんとくっきり形になっていれば、褒められていることを「期待」だと大きく捉えすぎない人間になれる気がする。


文章でも絵でも映像でも舞台でも、とにかく何かを表現する人達は特にこの聖なる領域をみんなが持っていて、その形がとてもしっかり揺るがないように見える。
私もそれくらい、自分の表現することに自信を持てるようになりたい。


最後に最近の悲劇的なニュースから思ったことなのだが。
他のものと擦り合わせる時には、きちんと相手も自分も納得できるところまで、お互いの表現という『聖域』を守り合って侵されることがあってはならないなと感じた。

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